おかっぱ頭に、いかにも日本風な切れ長の目。山口小夜子は、東洋の美を体現するモデルの草分け的な存在でした。
服飾学校の授業の延長からモデルとしての活動をはじめ、本格デビューの翌72年にパリ・コレクションに出演。74年にはニューズウィーク誌に「世界の4人の新しいトップモデル」として紹介されるなど、あっという間にスターへの階段を駆け上りました。
会場は山口小夜子の遺品を集めた「小夜子のブレインルーム」から。続いてファッション誌の記事などで、世界中を席巻した小夜子の活躍を辿ります。
Section1「時代とともに ─ トップモデルとしての小夜子」
1973年から1986年まで、資生堂と専属契約を結んでいた小夜子。鮮烈な印象の広告類は、記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。
小夜子を撮り続けた写真家の横須賀功光、横須賀と組んだアートディレクターの中村誠らによるクリエイションは、「日本ならではの美」という新しい価値を示しました。
Section2「美をかたちに ─ 資生堂と小夜子」
華々しい活躍のためモデルとしてのイメージが強い小夜子ですが、実は舞台や映画女優としての活動もごく初期から行っています。さらに舞踏やダンスまで、活動の幅を広げていました。
また、クリエイターとしても、舞台の意匠などを数多く担当。もともと服飾学校で学んでいたという事もあって衣裳デザインも手掛けており、会場にはスケッチなどが「小夜子のアトリエ」として紹介されています。
Section3「新たな舞台へ ─ 演じる、舞う、着せる小夜子」
新しいものに対する感受性が強かった小夜子。晩年の数年間は、若い表現者たちとともにファッション、音楽、映像、演劇、朗読、パフォーマンス、ダンスなどが混在する実験的な試みを行っていました。
最終章では小夜子の21世紀の活動を振り返るとともに、小夜子の周辺にいたアーティストがによる、小夜子に捧げる新作インスタレーションが紹介されています。
Section4「オルタナティブな未来へ ─ 21世紀の小夜子」
美しい会場構成も含め、デザイン好きな人の関心を集めそうな展覧会。公式図録「山口小夜子 未来を着る人」は一般書籍としても発売されます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年4月10日 ]