会場はプロローグの「辰野金吾と東京駅」に続き、第1章は「丸の内の100年」。丸の内の同じ場所を時代別で再現した3つの大きなジオラマが目をひきます。
東京駅が建設されたのは1914年、驚くほど周囲には何もありません。大名屋敷が軒を連ねていたこの地は、三菱に払い下げられた後に更地となり、「三菱ヵ原」と呼ばれた原っぱでした。
東京オリンピックが開催された1964年になるとビルが目立ちますが、見事に高さは同じ。「美観地区」として、建築物の高さが百尺(31m)に規制されていたためです。
そして現在の2014年。模型の範囲内に100m超のビルは13棟もあり、東京駅はすっぽりと隠れるようになりました。
続いて、地下で繋がれた東京駅について。現在の東京駅にはプラットホームが15面もあり、地下道は周辺の地下鉄の駅まで網の目のように広がっています。東京駅の地下を表現した模型が天井から吊るされ、頭上を見て進むのは面白い演出です。(《東京駅体 模型2014》田村圭介+昭和女子大学環境デザイン学科・田村研究室制作)
第1章「丸の内の100年」第2章は「東京駅の100年」。駅舎の歴史を紹介します。
東京駅は日本銀行本店などを手掛けた辰野金吾が設計。関東大震災ではびくともしませんでしたが、1945年の空襲で被災、屋根が焼け落ちる大きな被害を受けました。
復興工事は敗戦後に実施。社会情勢は混乱し、資材も不足する困難な状況でしたが、3階だった建物は2階に、南北のドーム屋根は角ばった八角屋根に変更して復興。その姿は60年間保たれました。
2012年に創建当初の姿に復原されたのはご存知のとおり。戦災復興時のローマ風球体天井は撤去されましたが、床にパターンとして残すなど、60年間使われた建築の記憶を留める工夫もなされています。
興味深いのが、創建当時と戦災復興時の東京駅模型。おそらく1978年前後のもので、制作意図は不明ですが、ちょうどこの頃、東京駅を建て替える計画が出ていたため、無くなる前にその姿を留めておく目的だったのかもしれません。
第2章「東京駅の100年」会場には創建時の図面をはじめ、実物の資料も展示されています。
煉瓦の塊は、躯体用の構造煉瓦。日本煉瓦製造社によるもので、同社の煉瓦は現在の中央線の万世橋高架橋など、東京市街線の高架橋にも使われています。
復原工事を進めた際に、創建時の部材も見つかっています。階段の手すりやブラケット(階段の踊り場や回廊部分などを支える部材)は、いずれも漆喰の壁の中から発見されたものです。
愛嬌がある戌と亥のレリーフ石膏原型は、竣工時の写真をもとに作られたもの(創建時のレリーフは現存しません)。東京駅のドームは辰野の希望で、このような和風のモチーフが多用されました。
第2章「東京駅の100年」第3章は「記憶の中の東京駅」。東京駅は文学作品の舞台としてもしばしば登場するほか、その特徴的な外観は多くの画家が題材にしてきました。
山川秀峰は赤煉瓦の建物を美人画の背景に、松本竣介は八重洲側から見たシルエットを、元田久治の作品には廃墟となった未来の東京駅の姿と、会場には大正時代の版画から近年の漫画まで、東京駅を題材にした作品が並びます。
第3章「記憶の中の東京駅」報道などで知られているように、東京駅の復原工事は空中権の売却が原資。経済性の追求によって歴史的な建造物が姿を消す例も多い中、皮肉にも東京駅は、空中権の売却という経済性のために、往年の姿で今日を迎える事となりました。
会場で販売されている図録(2,000円)は建築史、都市、建築工学、美術、文学などさまざまな切り口で、類まれなこの建物を解説。一般書店では販売されていませんが、礼賛一辺倒ではない冷静な論評も含めて、強くお勧めします。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年12月12日 ]