明治天皇とともに、明治神宮の御祭神である昭憲皇太后。幕藩体制から近代国家に生まれ変わる激動の時代の中で、昭憲皇太后は女子教育や社会福祉にも尽力し、国母陛下として慕われていました。
会場の
明治神宮文化館 宝物展示室では、肖像画や写真、ゆかりの品々などを紹介。その歩みを振り返ります。
会場会場では、三点の豪華な大礼服が目を惹きます。近代国家建設のために明治政府は洋装を奨励しており、昭憲皇太后も率先して洋服を直用しました。
大礼服(マントー・ド・クール)は最も格式が高い宮中の礼服で、長いマント―(引き裾)が特徴。見事な刺繍には、日本の伝統的な文様も取り入れられています。
製作にあたり、昭憲皇太后は国産の生地を使うことを奨励しました。展示されている三点も、最も古い一番手前の大礼服は外国製の生地でしたが、時代が下った後の二点は国内産の生地にかわっています。
豪華な大礼服近世以前の皇后は公的な場にあまり出ませんでしたが、昭憲皇太后は様々なかたちで社会と関わりを持っていました。初の官営製糸工場である富岡製糸場にも行啓しており、会場には荒井寛方が描いた《富岡製糸場行啓》も展示されています。
昭憲皇太后の大きな業績のひとつが、昭憲皇太后基金です。赤十字の平時活動の奨励基金として、1912(明治45)年に昭憲皇太后が国際赤十字に贈った10万円(現在の3億5000万円相当)を元に創設。これまでに150カ国以上で活動に充てられています。
第二章「御心を注がれる」会場後半にある昭憲皇太后の肖像画には、興味深いエピソードも伝わります。
肖像画は、濃紺色の小袿(こうちき:高位の女性が着る上着)を着た昭憲皇太后。写真を見て描かれた作品ですが、展示されている鮮やかな赤の小袿が、写真と全く同じ柄です。同じ小袿という確証こそないものの、ジュゼッペ・ウゴリーニ(ミラノの画家)が見た写真はモノクロだったため、色を間違えていたのかもしれません。
昭憲皇太后のモノクロ写真を参考にしてジュゼッペ・ウゴリーニは肖像画を描きましたが、小袿(こうちき)の色は異なっていたのかも新しい時代に生きる皇后として、国民とともに歩んだ昭憲皇太后。明治期の駐日英国公使夫人のメアリー・フレイザーは、昭憲皇太后についてこう記しています。
わがままを通し、贅沢を尽くせるお立場にありながら、恵まれない人々の嘆きに常に耳を傾け、彼等を助けるため、いつも自らを犠牲にされる皇后は、ほとんど聖者に等しい。
なお、出展作品は会期途中で一部展示替えされます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年4月4日 ]