MIHO MUSEUM「紫香楽宮と甲賀の神仏―紫香楽宮・甲賀寺と甲賀の造形」
文 [エリアレポーター]
カワタユカリ / 2019年7月26日
≪金銅誕生釈迦仏立像≫ 重要文化財 奈良時代 八世紀 湖南市・善水寺
「幻の宮都」。なんてワクワクさせる言葉なのでしょう。まるで霧の中から壮大な景色が現れるかのようです。気持の高鳴りとともに展示会場へ入ります。
現在、滋賀県にあるMIHO MUSEUMでは天平時代に存在した紫香楽宮に関連する文化財や仏像、神像、写経などを一堂に集めた展覧会が開催されています。聖武天皇が甲賀の地に紫香楽宮を造営し、大仏造立の地と定めて大規模な工事を始めるものの数年のうちに紫香楽宮は放棄され、聖武天皇は平城宮に移ったそうです。
長い年月が経ち、同地に紫香楽宮があったのではないかと検討されるものの決定的な証拠が見つからず謎に包まれていましたが、昭和56年に3本の柱根が見つかったことをきっかけに、本格的な発掘調査が始まりました。そして本展では最新の成果に基づき、紫香楽宮に関する文化財の数々がお披露目されています。
≪宮町遺跡出土品 柱根≫ 甲賀市教育委員会
≪宮町遺跡出土品 木製品≫甲賀市教育委員会
恥ずかしながら歴史に疎い私でさえ、紫香楽宮が存在した事実にいわゆる「古代ロマン」を感じずにはいられませんでした。
まず聖武天皇が甲賀で大仏を造ろうとしていたことにも驚きましたが、途中で平城京に戻ってしまうということも衝撃でした。教科書で習う過去の人物には、人間離れしたような完璧なイメージをもちますが、この聖武天皇の人間味あふれるエピソードは親近感を抱かせます。
「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていたかもしれない。」ではないですが、聖武天皇の言動が少し違ったら、歴史は大きく変わっていたかもしれない……。何かとてつもない大きな分岐点を目の当たりにした気分です。
短命であった紫香楽宮ですが、その後の甲賀に豊かな宗教文化を根付かせていきます。石山寺、金勝寺をはじめ天平文化が色濃く残る仏像群がそれらを物語っています。
≪木造十一面観音立像≫平安時代 十二世紀 甲賀市・飯道寺
≪塑像金剛蔵王立像心木≫奈良時代 天平宝字六年 大津市・石山寺
展示会場風景
今回の展覧会には小学生が読んでもわかるような読みやすい説明文が付けられていることも特徴の1つです。地元の小中学生に来館してもらい、地元の歴史を知り、地元を誇りに思ってもらいたいと展覧会を担当された高梨学芸員は話します。もちろん県外からの子供たちがみても、自分が住む場所にも深い歴史があるんだ、そんなワクワクをきっと感じてくれるに違いありません。
来年はオリンピック開催があり、最近は特に未来に目を向けがちですが、過去(歴史)を知ることが、現在・未来を充実させていくのだと改めて認識させられました。
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カワタユカリ
美術館、ギャラリーと飛び回っています。感覚人間なので、直感でふらーと展覧会をみていますが、塵も積もれば山となると思えるようなおもしろい視点で感想をお伝えしていきたいです。どうぞお付き合いお願いいたします。
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