日本とオーストリアが国交を結んで150年となる今年は、ウィーンにちなんだ展覧会が各地で開催されています。
世紀末をはじめとした名作が日本に集結していて、まるで東京がウィーン化しているようです。
本展もそのひとつとなりますが、こちらの展示の特徴は19世紀末に花開いたウィーン芸術がどのような歴史の中で育まれてきたかがわかるものです。
左・カール・ヴァスケス伯爵《ウィーン市街図と22の商店》1835年/右・ヤーコプ・アルト《ウィーン上空に浮かぶ熱気球》1847年 いずれもウィーン・ミュージアム蔵
これらの街の地図や風景画からは、19世紀前半のウィーンの街の様子を知ることができます。
この当時のウィーンは世界情勢が不安であることから、言論や芸術への検閲が行われていました。
そのため人々は政治や外交を語るよりも、身近な暮らしの中にある人や品々への関心が強くなっていきました。
そのような流れが「ビーダーマイアー」を生み出しました。
左《ポールドレス》1840-41年/右《デイタイム・ドレス》1816年頃 いずれもウィーン・ミュージアム蔵
ビーダーマイアー時代は、裕福な市民が親しい人たちとくつろいだ時間を過ごすための生活の品々が作り出されました。
それはシンプルで使いやすい中にも洗練された優れたデザインでした。
本展でもドレス、家具、銀器などが多数展示されていて、実用の美を感じることができます。
左・ユーリウス・シュミット《ウィーンの邸宅で開かれたシューベルトの夜会(シューベルティアーデ)》1897年/右・ヴィルヘルム・アウグスト・リーダー《作曲家フランツ・シューベルト》1875年頃 いずれもウィーン・ミュージアム蔵
この時代のウィーンの代表的な音楽家はフランツ・シューベルトです。
シューベルトの作品の多くが、歌曲や室内楽といった形式であることは、大人数の集会を開くことに規制があった当時の社会情勢を反映していたともいえます。
左・フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー《バラの季節》1864年頃/右・ロザリア・アモン《窓辺の少女》1849年 いずれもウィーン・ミュージアム蔵
ヴァルトミュラーは、このような時代の中で親しい人々を自然な表情と身近な風景の中で描きました。
多くの優れた風俗画を描いた彼の芸術はのちのウィーン芸術に大きな影響を与えたといわれ「ウィーン分離派の最初の芸術家」と呼ばれています。
左・フランツ・ルス(父)《皇帝フランツ・ヨーゼフ1世》1852年/右・フランツ・ルス(父)《皇后エリーザベト》1855年 いずれもウィーン・ミュージアム蔵
やがてウィーンは、19世紀の中頃のフランツ・ヨーゼフ1世の時代になると華やかに発展していきました。
大規模な都市開発がはじまり、富裕な市民層が芸術を庇護する担い手となりました。
左・ハンス・マカルト《ハンナ・クリンコッシュ》1884年以前/右・ハンス・マカルト《メッサリナの役に扮する女優シャーロット・ヴォルター》1875年 いずれもウィーン・ミュージアム蔵
この時代に華々しく活躍したのが「画家のプリンス」と呼ばれるハンス・マカルトでした。
マカルトの描く女性は、大画面の中に優美に描かれています。
本展に展示された《グスハウス通りのハンス・マカルトのアトリエ》(1885年)に見られるような、豪華なアトリエでこのような華麗な作品を制作していたのでしょうか。
グスタフ・クリムト《愛》(『アレゴリー:新連作』のための原画No.46)1895年 ウィーン・ミュージアム蔵
こちらは、グスタフ・クリムトの初期の作品です。
暗闇の中で恋人たちは美しく描かれていますが、その背景には悲しみや苦しみ、恨みにも似た表情をしたいくつかの顔が潜んでいます。
愛とはただ美しく幸せなだけのものではないと語られているかのようです。
この作品は有名な《接吻》の初期ヴァージョンと位置付けられているそうです。
クリムトの作品は《パラス・アテナ》(1898年)や《エミーリエ・フレーゲの肖像》(1902年)など話題作も楽しめます。
クリムトの素描(展示風景)
本展では、クリムトの素描もたくさん展示されています。
女性の身体を流れるようなラインで描かれている素描は、陰影を使って光や質感を表現される素描とは違うリズムを感じさせる味わいがあります。
左・コロマン・モーザーによるフリーゲ姉妹ファッション・サロンの椅子、テーブル、ウォール・ランプ(すべて再製作)1985年(オリジナル:1904年)/右・グスタフ・クリムトのスモック 1905年頃 すべてウィーン・ミュージアム蔵
写真や映像でおなじみのクリムトが着用していたスモックも展示されていました。
がっしりとした体形と独特の髪型のクリムトの姿を思い浮かべることができます。
左・ヨーゼフ・エンゲルハルト《ゾフィーエンザールの特別席》1903年/右・マクシミリアン・クルツヴァイル《黄色いドレスの女性(画家の妻)》1899年 いずれもウィーン・ミュージアム蔵
マクシミリアン・クルツヴァイルは、クリムトらとウィーン分離派を創設しました。
目を引くほどに鮮やかな黄色いドレスに身を包んだ画家の妻の肖像は、鑑賞者である私たちに何かを言いたげな視線をこちらに投げかけています。
ウィーン分離派の展覧会ポスター(展示風景)
ウィーン分離派のグラフィックも見どころです。
日本の版画から影響を受けたような大胆な構図や作品の雰囲気を伝えるデザインの要素のひとつともなっているフォントなど、その卓抜したデザインに目を奪われます。
左・エゴン・シーレ《ノイレングバッハの画家の部屋》1911年/右・エゴン・シーレ《美術批評家アルトゥール・レスラーの肖像》1910年 いずれもウィーン・ミュージアム蔵
ウィーン分離派でクリムトに次いで知られる、エゴン・シーレの作品も楽しめます。
クリムトの黄金に輝く装飾性に比べると、地味なイメージでもあるシーレですが、うねるような筆致が人物の深淵に迫っているようにも見えます。
ウィーン分離派よりも前の時代からスポットを当てて、ウィーン芸術の流れを意識した本展は、他のウィーン関連の展覧会に行く際の予習や復習にもなる貴重なものでした。
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松田佳子
湘南在住の社会人です。子供の頃から亡き父のお供をして出かけた美術館は、私にとって日常のストレスをリセットしてくれる大切な場所です。展覧会を楽しくお伝えできたらと思います。
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