高松のHi、赤瀬川のRed、中西のCenterと、三人の頭文字を並べたハイレッド・センター。発起人の三人と、後に加入した和泉達さんを加えた四人が合法部員で、周辺の芸術家たちも巻き込んで、社会の日常の中でさまざまな「イヴェント」を行い、美術関係者のみならず一般からも注目を集める存在でした。
展覧会では、グループとしてとして活発に活動していた時期とその前後を含め、1962年~1967年までの活動を俯瞰します。
会場入口からハイレッド・センターの「イヴェント」自体は展示できないため、記録写真を中心に、関連するオブジェや作品、再制作や資料を交えて立体的に構成されています。
会場「シェルター計画」は、1964年1月にに帝国ホテルで行われたイヴェントです。白南準(ナムジュン・パイク)、小野洋子らに招待状を出し、会場で徹底した身体測定を実施。写真撮影を行ってカルテに記録しました。
最終的に招待者は「シェルター」の予約、または「ハイレッド缶詰」(中身は1円玉とアルミニウム粉、など)の購入を勧められました。
「シェルター計画」「首都圏清掃整理促進運動」は、東京オリンピック開催期間中の1964年10月16日に銀座で行われた清掃イヴェント。
事前に参加を呼びかけるビラを散布し、当日は白衣姿のメンバーたちが、銀座・並木通りの舗道のブロックを雑巾がけしたり、横断歩道を洗剤で洗ったりしました。
ビラでは一般の参加も呼びかけましたが「実際に参加した一般人はいませんでした」(和泉達さん)という事です。
「首都圏清掃整理促進運動」会場の後半には、赤瀬川原平さんの「千円札裁判」事件に関連するエリアもあります。
読売アンデパンダン展などで1000円札をモチーフにした作品を発表していた赤瀬川原平さんが通貨及証券模造取締法違反で起訴され、前衛芸術と表現の自由を巡って大きな論争となった事件です。
赤瀬川さんらは、前衛芸術を説明する証拠品として東京地方裁判所にハイレッド・センターの作品を陳列するなどして、無罪を主張。裁判は最高裁まで争われ、懲役3カ月執行猶予1年の有罪で確定しました。
会場には起訴状や当時の報道なども含め、多くの資料や作品が紹介されています。
「千円札裁判」事件に関連するエリア人をくったようなユーモラスな「イヴェント」ですが、トレードマークの赤い「!」も含めて、都会的でスタイリッシュな雰囲気が漂うハイレッド・センター。高松次郎さんは1998年に死去しましたが、実はハイレッド・センターは正式には解散していまません。今秋には
千葉市美術館で、赤瀬川原平展も開催される予定です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年2月10日 ]