「今では『寒月』以外の作品をご存じの方は少ないかも」と、展覧会担当の実方葉子学芸員はやや心配そうに紹介しますが、その実力は折り紙付き。明治後半から大正にかけて文展では花形として活躍し、京画壇ではもちろん全国的にも非常に人気が高かった日本画家です。
没後75年に開かれた本展には、初期から晩年までの作品がずらり。大型の作品も多く、見応えたっぷりの回顧展です。
まず紹介されている初期の作品は、若い頃目指していた歴史画や、太い筆で大胆に描いた動物画など。卓越した画力は、この時期の作品からも伺えます。
会場入口から本展には櫻谷の旧邸を保存・公開している櫻谷文庫からも、多くの作品・資料が出展されました。
常に写生帖を懐にしていたといわれる櫻谷。動物、人物、風景を適格に捉えたスケッチ類が、展示ケースに並びます。
スケッチの数々最も有名な櫻谷の作品は、こちらの《寒月》。月夜の竹林に現れた一頭の狐を静謐なトーンで描いた印象深い作品ですが、夏目漱石が酷評したことでも知られています。
文展でこの作品を見た漱石は「屏風にするよりも写真屋の背景にした方が適当な絵である」と一刀両断。もともと漱石は皮肉屋ですが、ここまで貶すのは何故か。展覧会図録では学芸課長の野地耕一郎さんも鋭く分析していますが、ぜひ自分の目で評価してみてください(展示期間は1/11~1/19、2/11~2/16です)。
《寒月》小さな展示室2に並ぶのは、四季の屏風《柳桜図》《燕子花図》《菊花図》《雪中梅花》。桜や菊はかなり厚塗りで、油彩画のように筆の跡が立体的に残ります。
屏風は大正6年に竣工した住友家の茶臼山本邸のために発注されたもので、高さ180センチの大型サイズ。中央の椅子に座ると三方が金屏風に囲まれる事になり、かなり壮観です。
展示室2。《菊花図》はかなり厚塗りです最後にご紹介するのが、本展で初公開となる手描きの婚礼衣装。同居していた櫻谷の孫・もも子のために、仕立てた着物に金泥・銀泥で直接描いた見事な衣装です。
描いた時期が櫻谷の最晩年だとしても、もも子はまだ10代前半。早い準備は、孫娘に対する櫻谷の深い愛情を感じさせます。
櫻谷は昭和13(1938)年に死去。婚礼衣装はその9年後に使われました。
《白羽二重地金銀彩梅樹模様打掛》京都画壇では竹内栖鳳と人気を二分する存在だった木島櫻谷。前述の住友家のほか、豪商の小津与右衛門、久邇宮多嘉王家(現在の皇后陛下の叔父)、変わったところでは嘉納治五郎も講道館に飾るために注文したほどです。櫻谷作品を9点所蔵する
泉屋博古館分館ならではの企画展、ゆっくりと時間をとってお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年1月10日 ]