小説家、戯曲家、評論家、翻訳家、陸軍軍医といくつもの顔を持つ明治を代表する知識人、森鴎外。1892(明治25)年、鴎外は団子坂の上に新たに居を構え、2階の書斎から東京湾が見えたことから「観潮楼(かんちょうろう)」と名づけます。鴎外はこの地に1922(大正11)年に没するまで住み、「青年」「雁」「阿部一族」などを著しました。
都の史跡でもあるこの地には、以前は文京区立本郷図書館鴎外記念室がありましたが、生誕150年を期に新たに記念館を整備。2012年11月1日(木)、文京区立森鴎外記念館として開館しました。
薮下通り側から見た記念館。「観潮楼」当時の門柱跡が残っています
建物はB1階~2階の3層構造。1階のエントランスには旧鴎外記念室に置かれていた「鴎外の浮彫像」が掲げられています。
2階には図書室と講座室、1階にはカフェとショップがあり、地下には2つの展示室と映像コーナーが設けられています。
エントランス
展示室では、文京区が保管してきた鴎外の資料を中心に展示。2006年に小堀家(鴎外の次女・杏奴の遺族)から寄贈された資料も公開されます。
開館記念の特別展は「150年目の鴎外 ―観潮楼からはじまる―」。当時の歌壇代表者を自宅に招いて開いた観潮楼歌会や、「パッパ」と呼ばれていた鴎外の家庭人としての一面など、初公開の資料も含めて紹介しています(会期は終了しています)。
第1展示室
第2展示室
庭園も見どころのひとつ。当時からある大イチョウの木をはじめ、鴎外が観潮楼で親しんだといわれている草花が植えられました。
イチョウの奥には、鴎外ゆかりの「三人冗語」同人が座った大石「三人冗語の石」も健在。薮下通り側の入り口には、観潮楼正面の門柱跡の礎石と敷石も残っています。
33回忌に寄贈された詩碑「沙羅の木」から、庭園を望む
「さまざまな分野で活躍して業績を残した鴎外の活躍にならって、館も幅広い活動を展開していきたい」と語る進藤館長。鴎外が上京して最初にドイツ語を学んだ進文学社、医学を修めた東京大学医学部、千駄木町57番地(向丘)の家と、鴎外ゆかりの場所が多い文京区の新しい名所として、大きな注目を集めそうです。(取材:2012年10月30日)
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森 鴎外 (著) 新潮社 ¥ 389 |