東京都美術館の「クリムト展」と1日違いで開幕した「ウィーン・モダン」展。前者が、画家クリムトとその周辺に焦点を当てているのに対し、本展は世紀末に至るまでのウィーンの歴史を、絵画や工芸だけでなく、建築、デザイン、インテリア、ファッションと、幅広く取り上げるのが特徴的です。
会場は、大きくは4章構成(それぞれに小章があります)。第1章は「啓蒙主義時代のウィーン」です。
古い慣習を刷新し、知性と社会の革新を目指した啓蒙主義の時代(18世紀中頃)。女帝マリア・テレジアの息子、皇帝ヨーゼフ2世はこの思想を強く支持しました。
貴族から特権を剥奪、カトリック以外の宗教も容認するなど、さまざまな改革を実行。自由な精神を持つ知識人が集ったウィーンは、ヨーロッパの文化的な中心に成長していきます。
第2章は「ビーダーマイアー時代のウィーン」。ナポレオン戦争が終わってから3月革命までが、ビーダーマイアー(1814/15~1848)。元は家具の様式を表しましたが、後にこの時代の生活様式全般を示す事となりました。
政治的な抑圧が強かった時代のため、絵画の主題は穏やかな風景画など。家具や日用品のデザインは実用的になり、モダニズムの規範になりました。
この時代、ウィーンは音楽の都としても発展しました。シューベルトは、この時代の作曲家。展示されている眼鏡は、寝るときもかけていたと伝わります(起きたらすぐに作曲できるように、という理由です)。
第3章は「リンク通りとウィーン」。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の時代(1848-1916)に、ウィーンは近代都市に変貌します。
画家の頂点に君臨していたのが、ハンス・マカルト。上流階級から支持され、皇帝夫妻の銀婚式パレードの演出も手掛けました。クリムトもマカルトから大多きな影響を受けています。
第4章は「1900年―世紀末のウィーン」。現在のウィーンを印象づけているのが、この時期に活躍したオットー・ヴァーグナーによる建築です。中には実現しなかったプロジェクトもあり、模型や図面で紹介されています。
そして、ウィーン分離派。1897年にクリムトやカール・モル、コロマン・モーザーらにより結成されました。新しい表現を目指しましたが、その画風は一様ではなく、装飾的なクリムトに対し、モーザーはホドラーの影響下にあり、モルらは印象派に近い絵画を描いています。
展覧会のメインビジュアルは、クリムトによる《エミーリエ・フレーゲの肖像》。モデルのエミーリエは、クリムトが最も信頼を寄せた女性(弟の妻の妹)です。この作品は、一般の方も撮影可能。展覧会のメイン作品が撮影できるのは、珍しい試みです。
クリムト作品は、初期の原画や、素描類なども数多く展示。クリムトは日本の春画にも関心を寄せており、あからさまなポーズの女性を描いた素描もあります。
クリムトを敬愛し「銀のクリムト」を自称していたのがエゴン・シーレ。ただ、1910年頃からはクリムト様式から離れ、表現主義的な作風に移行していきます。
自画像や肖像画など油彩も並びますが、むしろ注目は素描。太くて力強い筆致にも関わらず、描き直しが無いその描写は、まさに天才的。28歳での夭折が惜しまれます。
ヨーロッパ有数の博物館でもあるウィーン・ミュージアムの改修工事に伴って、同館の主要作品がまとめて来日した本展。個人蔵などもあわせ、出展数は約400点という大ボリュームです(大阪展は約300点)。
東京展の後は大阪へ巡回。国立国際美術館で8/27~12/8に開催されます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年4月23日 ]