今年は日本とオーストリア友好150周年。クリムトやウィーン世紀末に焦点を当てた大きな展覧会が、相次いで開催されます。
本展は、ずばりクリムト展。初期から晩年までクリムトの傑作が揃います。
クリムトは1862年、ウィーン生まれ。7人兄弟の長男です。14歳でウィーンの美術工芸学校に入学。修行時代はアカデミックな教育を受け、画家としての基礎力を身に付けました。
在学中に、弟のエルンスト、同級生のフランツ・マッチェとともに「芸術家カンパニー」を結成。劇場装飾などを手がけます。
ただ、クリムトが30歳の時に弟エルンストは急逝。同年には父も亡くなっており、相次ぐ不幸はクリムトの創作にも影響を与える事となります。
クリムトは生涯独身でしたが、子どもは少なくとも14人いたとされています。母親の多くは、アトリエに出入りするモデルでした。
クリムトが最も信頼していた女性は、弟エルンストの妻の妹、エミーリエ・フレーゲです。ふたりはプラトニックとされていましたが、近年、深い関係を伺わせる手紙も見つかりました。会場では、その手紙も展示されています。
8章構成の本展で、メインといえるのが第5章「ウィーン分離派」。多くの人がイメージする、クリムトの典型例な作品が並びます。
保守的なウィーン造形芸術家協会に反発して、1897年に結成されたウィーン分離派です。初代会長がクリムトでした。分離派会館の新設に際しては、ウィーン市から土地が無償で提供されるなど、為政者側とも関係は良好でした。
《ユディトⅠ》はクリムトの代表作。 豪華な装身具を身に付けながら、裸身をさらして誘惑するユディト。油彩画に初めて本物の金箔を用いた作品とされています。
全長34メートルの壁画《ベートーヴェン・フリーズ》も、見どころのひとつです。ベートーヴェンの交響曲第9番から着想した作品で、絵画・彫刻・建築・美術工芸・詩・音楽を総合的に融合しました。原寸大複製ですが、現地と同様にコの字型で展示されており、雰囲気を楽しめます。
クリムトの創作テーマのひとつが「生命の円環」。老や死も臆する事なく描くように、ありのままの女性や、男女が愛し合うさまは、クリムトにとって生命そのものの表現ともいえます。
《女の三世代》は、初来日。赤ん坊、若い女性、老女と、人生の三段階を描きました。酸化して黒ずんでいますが、背景は銀箔と思われます。
1918年の1月に、55歳で亡くなったクリムト。奇しくもこの年は、エゴン・シーレ(画家)、コロマン・モーザー(デザイナー)、オットー・ワーグナー(建築家)も死去。そして、オーストリア=ハンガリー帝国は第一次世界大戦に敗れて崩壊したのもこの年です。
まるでクリムトの死が引き金になったように、オーストリアは歴史と文化の両面で、大きな転換期を迎える事となりました。
東京展の後に、豊田市美術館に巡回します(7/23~10/14)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年4月22日 ]