2009年に開館して以来、年2回の企画展で近代の西洋絵画から日本洋画・日本画・陶磁器・彫刻にまで及ぶ幅広いジャンルの所蔵品を異なるテーマのもとに紹介してきた山王美術館。
15年目を迎えた今秋、開館記念時と同じタイトル《コレクションでつづる藤田嗣治・佐伯祐三・荻須高徳-パリを愛し、パリに魅了された画家たち》の展覧会が開催されている。
山王美術館外観
とはいえ、15年前の展覧会冒頭を飾ったのはピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)の裸婦像と、彼に教えを受けた梅原龍三郎(1888-1986)の花卉画。
いっぽう今回は、東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業後、フランスへと向かった藤田嗣治(1886-1968)、佐伯祐三(1898-1928)、荻須高徳(1901-1986)が描いたパリの風景画が観者を迎え、近年新たにコレクションに加えられた作品と共に3人の画家たちの「クロスワールド」へと誘ってゆく。
5階第1会場風景
3人の作品をいかようにも交差させることが出来るのは、「1フロア1作家」という展示方法ならでは。例えば各階に展示されている、それぞれの自画像。それらが見(魅)せるのは、画風の違い?異なる時代背景?それとも、それぞれの生き様?
佐伯祐三《自画像》1917年頃(山王美術館蔵、以下同)。荻須高徳、藤田嗣治の作品は、それぞれ4階第2会場、3階第3会場に展示
専ら風景画を手掛けていた佐伯が、雨になると描いたという花卉。荻須高徳《芍薬》1933年、藤田嗣治《矢車草》1943年、同《一輪のライラック》1951年とクロスさせると、いったい何が見えてくるだろう。
佐伯祐三《アネモネ》1925年頃
今回の展覧会は、当館が所蔵する佐伯の作品全24点を見ることのできる、まさに「山王コレクションによる佐伯祐三回顧展」ともなっている。それは、彼が1923年に渡仏してからパリ市内の街並みを対象に独自の画風を確立するまでの軌跡を辿らしめるものでも、下落合や安治川の滞船を主題とした作品によって日本に一時帰国していた彼が1926年に再び渡仏する道程を想起させるものでもある。
5階第1会場風景
東京美術学校時代の佐伯が描いた妻、米子の肖像画は、今回初展示の内の一点。
佐伯祐三《米子像》1922年頃
同じく当館の所蔵品となって間もない、佐伯の余りに短い人生の最晩年に制作された風景画までを辿ることで、彼の画歴だけではなく、山王コレクションの成り立ちまでもが浮き彫りになってくる。この作品はまた、1927年にパリにやってきた荻須と共にパリ郊外の村ヴィリエ=シュル=モランへ写生旅行をしたことを示すものでもあり…。
佐伯祐三《モラン風景》1928年
4階第2会場に広がる荻須の世界へと向かわせる。半世紀余りにわたってパリを拠点に制作活動に励んだ荻須が交差させんとするのは、彼独自の眼差しによるイタリアやスイスの風景と、佐伯の作品と見紛うまでのパリの風景?
4階第2会場風景
荻須は、佐伯だけではなく、藤田とも交流があったという。そんな藤田の作品群をじっくり鑑賞できるのが、3階の展示室。そこには、中南米への旅行、日本への一時帰国などを経るなかで生まれたパリの風景画が、子供たちを主題とした彼の晩年の作品などと共に展示されている。展覧会冒頭と繋げて、「描く者」と「描かれたもの」、描かれた「時」と「場」を改めてクロスさせてみると、響き合うもの、せめぎ合うものが見えてくる。
3階第3会場風景
次回の企画展は《エコール・ド・パリ》(会期:2025年3月1日~7月31日)。パリをめぐるクロスワールドをさらに広げてみてはいかが?
美術館入口
[ 取材・撮影・文:田邉めぐみ / 2024年8月29日 ]