「形而上絵画」(幻想的な風景や静物によって非日常的な世界を表現する絵画)で知られる、ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)。日常の奥に潜む非日常を表したその作品は当時の美術界に衝撃をもたらし、後のシュルレアリストたちに大きな影響を与えました。
日本では10年ぶりとなる大規模なデ・キリコ展が、東京都美術館で開催中です。
東京都美術館「デ・キリコ展」会場 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
展覧会は「自画像・肖像画」から。デ・キリコは生涯において何百枚もの自画像を描いており、画業の変遷にあわせて自画像のスタイルも変容しています。
《闘牛士の衣装をまとった自画像》はデ・キリコの円熟期で、「古典的な」絵画に回帰していた頃の作品です。1942年のヴェネツィア・ビエンナーレに出品されました。
《闘牛士の衣装をまとった自画像》1941年 カーサ・ロドルフォ・シヴィエーロ美術館
© Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
デ・キリコはミュンヘンの美術学校を中退してイタリアにわたると、1910年の秋から、歪んだ遠近法に、脈絡のないモチーフを配置するなど、まるで夢の中の風景のような作品を制作。後に自身によって「形而上絵画」と名付けられました。
それらの作品は詩人ギヨーム・アポリネールの目に留まり、デ・キリコの存在は前衛芸術の一翼を担うようなっていきました。
《バラ色の塔のあるイタリア広場》1934年頃 トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館(L.F.コレクションより長期貸与)
© Archivio Fotografico e Mediateca Mart
© Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
デ・キリコの作品で特徴的なモチーフのひとつがマヌカン(マネキン)です。初期の形而上絵画に描かれていた石膏の彫像からは古典的な要素を感じることができますが、そういった背景が何もないマヌカンは、見るものに戸惑いを与えます。
作品にマヌカンが登場したのは、第一次世界大戦が勃発した頃から。マヌカンは、戦争の愚かさと残虐性を象徴しているようにもとらえられます。
《形而上的なミューズたち》 1918年 カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館(フランチェスコ・フェデリコ・チェッルーティ美術財団より長期貸与)
© Castello di Rivoli Museo d'Arte Contemporanea, Rivoli-Turin, long-term loan from Fondazione Cerruti
© Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
デ・キリコは1920年代前半になると古典絵画に関心を向け、1925年にパリに戻ると、過去の形而上的なモティーフを発展させたり、全く新しい図像による作品を制作するようになりました。
デ・キリコが幼年期を過ごしたアテネでは、地震が起きるたびに路上に家具が運びだされていました。《谷間の家具》は、その記憶に加え、後に家具屋の店先に置かれた家具からの着想で制作された作品です。
《谷間の家具》1927年 トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館(L.F.コレクションより長期貸与)
© Archivio Fotografico e Mediateca Mart
© Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
第一次世界大戦後に、美術界では古典絵画の秩序を再発見した「秩序への回帰」が隆盛。デ・キリコも、この動向に身を投じていきました。
デ・キリコによる古典絵画研究は1925年にパリに戻ったことで一時中断されますが、1930年代には再燃。次々に濃密な作品を描いていきました。
《鎧とスイカ》1924年 ウニクレディト・アート・コレクション
© Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
デ・キリコは、舞台美術も手掛けています。1924年にはじめてバレエ『大甕』の舞台美術と衣装を担当。その後も1920年代にはしばしば舞台芸術と関わりをもち、その経験は絵画制作にも影響を与えていたと思われます。
(左から)《ビショップスリーブと肩章が付いた背中綴じスモック》/ 《パフスリーブが付いた背中綴じスモック》 / 《男性用の背中綴じつなぎ》
すべて 1931年 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
最晩年にあたる1960年代後半以降、デ・キリコは「新形而上絵画」の作品に取り組むことになります。それまでに描いた様々な作品を自由に組み合わせ、あるいは変容させて、これまでとは異なる作品をつくりあげていきました。
《燃えつきた太陽のある形而上的室内》に描かれている太陽や月は、デ・キリコが1930年に挿絵として描いたものです。神秘性と不安をかきたてるイメージとして、長い時を経て再び作品に取り入れたことになります。
《燃えつきた太陽のある形而上的室内》1971年 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団
© Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma
© Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
デ・キリコは1920年代半ば以降はシュルレアリストたちと険悪な関係になったり、「新形而上絵画」が贋作として非難されたこともあるなど、ある意味「お騒がせ」な人物でもありましたが、アンディ・ウォーホルは、複製や反復を制作に取り入れたデ・キリコを、ポップアートの先駆者として高く評価していました。
東京展は2024年8月29日(木)まで。9月14日(土)~12月8日(日)には神戸市立博物館に巡回します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2024年4月26日 ]