豊田市美術館で「エッシャー 不思議のヒミツ」展が始まりました。
美術館東エントランス
エッシャー(マウリッツ・コルネリス・エッシャー、1898-1972)と言えば、現実にはあり得ない建築などの「だまし絵」の作家(版画家)として有名です。その作風は、他に類似する作家を思いつかないほど稀有な存在です。
本展では、エッシャーの初期から晩年まで、約160点の作品と資料が展示されます。あわせて、多数の体験コーナーで作品に仕組まれた「不思議のヒミツ」を体感できます。
会場入口
夏休みも始まりましたし、息抜きがてら、避暑がてら、美術館で涼みながら、頭の体操はいかがですか。
第1章 デビューとイタリア
「バベルの塔」と言えば、巨大な円錐形の塔を描いた、P.ブリューゲルの作品が有名ですが、エッシャーも「バベルの塔」を制作しています。P.ブリューゲルの描いた塔とは異なり、エッシャーの塔の形状は四角形の組み合わせです。また、塔を眺める視点は、かなり上空から見下ろしており、まるでドローンで建設途中の様子を点検しているかのようです。
塔の近くには港があり、帆船が多数往来しています。また、現代の建築現場と違い、クレーンを使わず、手作業で石かレンガを積み上げているところに時代性を感じます。
その左側の《地下聖堂での行列》を見ると、多数の円柱とアーチ形の天井が空間の奥のほうまで連続しています。行列している人物は、袖口が広く、裾の長いコートを着て、三角頭巾をかぶり、まるで魔法使いの集会のような雰囲気です。 前者は垂直方向の遠近感、後者は水平方向の遠近感を巧みに表現しています。
左から《バベルの塔》1928 木版 個人蔵、《地下聖堂での行列》1927 木版 個人蔵
展示風景 作品の中に入り込めそうな大きなパネル
第2章 テセレーション(敷き詰め)
展示は、年代順ではなく、テーマごとに分かれているので、章が変わると制作年代が大きく異なる作品が並ぶこともあります。前章では、1920-1930年代の作品をみてきましたが、本章では1950-1960年代の作品を見ていきます。
左側の《蛇》は、エッシャーの手がけた最後の作品で、おそらくもっとも完成度が高いと言われています。大きさの異なる円形のパーツを組み合わせた幾何学的な模様に3匹の蛇が絡みついています。円形のパーツは、画面中央では直径が小さく、外周に向けて直径が大きくなり、いちばん外側で小さくなっています。中央部分をしばらく眺めていると、シャンパンを注いだグラスの底から、プクプクと浮かんでくる泡を、グラスの上からのぞき込んでいるような気がしてきます。
左から《蛇》1969 木版 個人蔵、《円の極限Ⅳ「天国と地獄」》1960 木版 個人蔵
第3章 メタモルフォーゼ(変容)
《メタモルフォーゼⅡ》は、とても横幅の広い作品です。まるで、ファンタジー映画に出てくる魔法使いの学校の授業のワンシーンのように、「メタモルフォーゼ」と唱えた呪文が形を変え、昆虫になり、鳥になり、街になり、チェスボードになり、また呪文に戻る様子を表しているみたいです。
前の章で見た「テセレーション」の技法が使われていることも、容易に見て取ることができます。ぜひ、会場で現物をご覧になってください。驚くことばかりだと思います。
《メタモルフォーゼⅡ》1939-1940 木版 個人蔵
会場内に設置された体験コーナーのひとつをご紹介します。ところどころに銀色の円形のパーツを取り付けた、灰色のパネルの前に立ってみてください。奇妙に変形した自分の姿が映ります。
その場に居合わせた来場者の方にお話を聞いたところ、ステンレスのスプーンやボウルでも同じような体験ができるそうです。そのお話を聞いて、「不思議のヒミツ」の一端がとても身近に感じられました。
展示風景 体験コーナー
第4章 空間の構造
右側の《写像球体を持つ手》は、本展のメインビジュアルとして、会場入口のパネルやポスターでもおなじみです。よく磨かれた球形の鏡のようなものにエッシャー本人とアトリエの様子が映りこんでいます。
本作の球体には室内の様子が映っていますが、この球体をもって室外に出るとどうなるでしょう。町の広場、塔の上、船のデッキ、飛行船のデッキなど、手の平の球体に映る世界はどんどん広がります。なんだか、とても楽しそうです。
左から《三つの球体Ⅱ》1946 リトグラフ 個人蔵、《写像球体を持つ手》1935 リトグラフ 個人蔵
左側の《メビウスの輪Ⅱ》をみると、数字の「8」の形に組まれた足場の上に、蟻が描かれています。行列を作って移動する蟻の姿で、無限の連続を暗示している面白い作品だと思います。これは、1匹の蟻が歩く様子を描いたものか、9匹の蟻が描かれているのか、どちらでしょうか。どちらにせよ、いつか足場を切断し、無限に連続するメビウスの輪から蟻を解放してあげたいと思います。
左から《メビウスの輪Ⅱ》1963 木版 個人蔵、《婚姻の絆》1956 リトグラフ 個人蔵
第5章 幾何学的なパラドックス(逆説)
この章で注目したいのは、3次元としては成立しないが、2次元なら表現できる建築物です。右側の《物見の塔》を見てください。この塔には、3次元ならあるはずの柱が省略され、ないはずの柱が描かれています。そのため、ないはずの床にハシゴを置き、上階に昇る2人の人物を描くことができました。
左側の《塔》を見てください。塔の中間あたりで、空間の上下関係が逆転しているようです。そのため、滝として流れ落ちた水が、元の位置に流れ降りて(流れ昇って)います。
余談ですが、もし、この塔を実現できれば、電力に関するエネルギー問題は解決するでしょう。画面中央、やや左側の水車を水力発電機に接続すれば、永久に循環する水の流れにより、石油や石炭を燃やさず、Co2も排出せず、永久に発電できることになります。夢のような大発明です。
左から《物見の塔》1958 リトグラフ 個人蔵、《滝》1961 リトグラフ 個人蔵
第6章 依頼を受けて制作した作品
この章では、エッシャーの手掛けた蔵書票、グリーティング・カード、挿絵などが展示されています。小品ですが、これまでに見てきたエッシャーの世界観を感じられるものばかりです。このようなグリーティング・カードが届いたら、きっとうれしくなると思います。
展示風景
今回のフォトスポット
展示室の最後に、《版画の画廊》のフォトスポットがあります。ここまで、様々なエッシャーの不思議な世界を眺めてきて、どのような感想をお持ちになりましたか。また、どの作品が一番印象に残りましたか。それらを思い出しながら、エッシャーの作品の登場人物になったつもりで、この夏の思い出の一枚をいかがですか。
フォトスポット 《版画の画廊》のパネルをバックに
コレクション展
同時開催されているコレクション展「増殖とループ」も見どころが多いです。 エッシャー展との関連で、版画作品、反復・連続をテーマとする作品が並ぶなかで、特に印象的だった作品を2点、ご紹介します。
右側の作品は《2D or not 2D》です。写真だと、わかりにくいのですが、メビウスの輪の形になっています。キャプションによれば、材料にプラスチックシート、ビニール、アルミ、ゴムが使われています。しかし、キャプションに記載はないけれど、この作品を成立させている大切な要素があります。
左から高松次郎《赤ん坊の影 No. 122》1965 ラッカー、カンヴァス、徳冨満《2D or not 2D》1993 プラスチックシートに着色、ビニール、アルミ、ゴム
記載されていない要素、それは「力」です。本作は、厚さ約10mmの平らなプラスチックシートをつなぎ合わせて構成されています。つまり、つなぎ合わせただけでは、平らな長い板ができるだけで、メビウスの輪の形になりません。そこで、おとな6人がかりで厚さ約10mmのプラスチックシートの反発力を抑え込みながら、ゆっくりと180度ひねり、メビウスの輪の形にしていきます。
一見すると、半透明で軽やかな印象の作品ですが、とても大きな力を秘めているのです。
次の展示室にも、力を秘めた作品があります。《スパイロジャイラ》は、ガラス瓶とスティールで構成されています。この作品に秘められた力は、地球の力、つまり「重力」です。コップ乾燥スタンドのように、ガラス瓶は螺旋形のスティールの腕に差し込まれています。
多数のガラス瓶を差し込むことで、螺旋形のスティールはバネのように上下に圧縮されます。ガラス瓶の重さの分だけ、《スパイロジャイラ》は力を蓄積しているわけです。
トニー・クラッグ《スパイロジャイラ》1992 ガラス瓶、スティール
展示が終わると、ガラス瓶はすべて取り外し、螺旋形のスティールとは別々に収蔵庫にしまうそうです。最後のガラス瓶を取り外したとき、螺旋形のスティールから「やれやれ、ひと仕事終わったぜ」というつぶやきが聞こえてくる気がします。
[ 取材・撮影・文:ひろ.すぎやま / 2024年7月12日 ]