戦後日本を代表する写真家の一人、中平卓馬(1938-2015)。1960年代末から70年代半ばにかけて実作と理論の両面で活躍し、森山大道や篠山紀信ら同時代の写真家を刺激しただけでなく、ホンマタカシら後続の世代にも多大な影響を与えてきました。
初期から晩年まで約600点の作品・資料を紹介しながら、その歩みを検証していく展覧会が、東京国立近代美術館で開催中です。
東京国立近代美術館 入口より
展覧会の第1章は「来たるべき言葉のために」です。中平卓馬は東京生まれ。東京外国語大学スペイン科を卒業し、月刊誌『現代の眼』編集部に勤務。写真家・東松照明との出会いから写真への関心を深め、1965年から写真家、批評家として活動を進めていきます。
中平は1968年に「挑発する」という意味のタイトルを持つ同人誌『Provoke』の創刊に参加。既存の写真表現の常識を逸脱した「アレ・ブレ・ボケ」の写真は、大きな反響を呼びました。
第1章「来たるべき言葉のために」 [無題]『Provoke』3号 1969年8月 プロヴォーク社 1969年 東京国立近代美術館
第2章は「風景・都市・サーキュレーション」。1970年代初頭、中平は「風景」や「都市」と題する作品を数多く発表。当時はさまざまな雑誌などで「風景論」と呼ばれる議論があり、中平も主要な論客の一人でした。
中平は松田政男の論稿から刺激を受けて、写真にとっての「風景」を考えていきます。
第2章「風景・都市・サーキュレーション」 (上から)「写真・1970(2):風景1」『デザイン』130号 1970年2月 美術出版社 1970年 個人蔵 / 「写真・1970(4):風景2」『デザイン』132号 1970年4月 美術出版社 1970年 個人蔵
中平は1971年の「第7回パリ青年ビエンナーレ」で、《サーキュレーション ― 日付、場所、行為》と題した、パフォーマティブな作品を制作。
「一日一日ぼくが触れるすべてを写真に写し、その日のうちに現像し、焼付け、その日のうちに会場に展示する」というもので、トラブルにより1週間で展示を中止するまで、約1,500枚の写真を会場に貼りました。
第2章「風景・都市・サーキュレーション」 《サーキュレーション ― 日付、場所、行為》【40点】1971年(2012年にプリント)東京国立近代美術館
第3章は「植物図鑑・氾濫」。中平は1973年に評論集『なぜ、植物図鑑か』を刊行。
昨今の中平の写真から詩的要素が失われているとする読者の投書に応え、逆に自分の情緒を外界に投影していた過去の写真を否定。事物を事物のままにとらえる「植物図鑑」としての写真を目指すと宣言しました。
第3章「植物図鑑・氾濫」 『なぜ、植物図鑑か 中平卓馬映像論集』晶文社 1973年 個人蔵
中平は1974年に東京国立近代美術館で開催された「15人の写真家」展に、《氾濫》を出品。
樹脂ボードに直貼りされたカラー写真48点で構成された作品で、雑誌で発表された都市をめぐる断片的なイメージが中心です。
第3章「植物図鑑・氾濫」 《氾濫》【「15人の写真家」(1974年)出品作、48点組】1974年 東京国立近代美術館
第4章は「島々・街路 」。1973年、中平は初めて沖縄を訪問。以来、島々からなる日本の姿に関心を抱き、奄美群島や吐噶喇(とから)列島を取材しました。
同じ頃、海外にも渡航を重ねた中平。小説家の中上健次とともに香港やシンガポール、スペイン、モロッコなどを取材し、『プレイボーイ日本版』(集英社)に、共作「町よ!」が掲載されました。
第4章「島々・街路 」(左から) 中上健次「町よ!連作の2:シンガポール」『プレイボーイ日本版』1976年11月号 集英社 1976年 個人蔵
最後の第5章は「写真原点」。1977年9月、中平は急性アルコール中毒で倒れ、肉体は回復したものの数年分の記憶を喪失。その後も記憶が持続しないなどの症状が残りましたが、写真家として再起を果たします。
1980年代にはモノクロフィルムを用いて撮影。自宅の周辺での撮影と暗室作業を重ね、写真集『新たなる凝視』や『AdieuaX』へとまとめられました。
第5章「写真原点」 《新たなる凝視》1978-82年頃 中平元氏蔵
その後、作品はカラーフィルムのタテ構図で、世界の断片を切り取るという方法へと移行していきます。
展覧会の最後で目を引く作品群は、2011年に大阪で開催された個展「キリカエ」の出品作です。165点でスタートし、会期中の作品追加を経て、最終的に300点近くが展示されました。
この展覧会が、中平の存命中最後の重要な個展になりました。
第5章「写真原点」 《キリカエ》【「キリカエ」展(2011年)出品作】2011年 東京国立近代美術館
戦後の写真に大きな足跡を残した中平卓馬の全容が理解できる大規模な展覧会。これまで展示されることがなかった作品も公開される、貴重な機会になっています。
巡回はせずに東京だけでの開催、展覧会は一部の作品を除いて撮影も可能です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2024年2月5日 ]