皇室に代々受け継がれた美術品を保存・研究・公開する皇居三の丸尚蔵館。開館記念の展覧会「皇室のみやび」では、同館を代表する収蔵品が4期に分けて展示されます。
第2期となる本展では、明治・大正・昭和の三代の天皇皇后にゆかりのある品々や、明治宮殿を飾った美術工芸作品、さらに皇室の御慶事を契機として制作された作品が紹介されています。
皇居三の丸尚蔵館
前回の第1期展では、「皇室のみやび」は展示室2のみでの開催でしたが(展示室1は「令和の御代を迎えて」展)、今回はふたつの展示室とも利用。展覧会は2章構成で、第1章は「天皇皇后ゆかりの品々 ― 明治・大正・昭和」です。
「人物写真帖」は、明治天皇の御下命で制作された写真帖です。全39冊、当時の日本の中枢にいた総勢 4,531名の肖像写真で、歴史資料としても貴重です。このページの写真は、有栖川宮幟仁親王です。
明治十二年明治天皇御下命「人物写真帖」『皇族 大臣 参議』(I類A-01)大蔵省印刷局ほか 明治13年(1880)頃[会期中頁替え]
《熊坂長範》は明治時代の作品です。能楽「熊坂」に登場する、平安時代の伝説的な盗賊・熊坂長範を、奈良一刀彫の名工・森川杜園が制作しました。
明治維新後に衰退した能楽の再興に寄与した、昭憲皇太后(明治天皇の妻)の御遺品として、秩父宮雍仁親王(昭和天皇の弟)に引き継がれました。
森川杜園《熊坂長範》明治26年(1893)[展示期間:1/4~2/4]
大正時代のエリアで紹介されている以下の3種は、全て初公開です。七宝の花瓶は、帝室技芸員にも選ばれている明治の名工・並河靖之によるもので、貞明皇后(大正天皇の妻)の御遺品として高松宮家へ。鉛筆とブラッシ(ブラシ)は、大正天皇の御遺品として高松宮家に伝わりました。
(左から)並河靖之《七宝藤図花瓶》明治~大正時代(20世紀) / エバーハード・ファーバー社《金製ケース付き鉛筆》19~20世紀 / 鴻池美術店《銀製御髪ブラッシ》明治~大正時代(20世紀)[すべて全期間展示]
昭和のエリアには豪華な宝飾品も。皇室と外国との交流の中で、各国から宝飾品が贈られることもありました。
サファイアとダイアモンドがあしらわれた豪華なネックレスは、昭和46年(1971)に国賓として来日したサウジアラビアのファイサル国王から香淳皇后(昭和天皇の妻)に贈られたもの。こちらも本展で初公開となります。
(右手前)《ネックレス》1971年頃[全期間展示]
第2章は「皇室の慶祝と宮殿を彩った調度」。ここでは主に、明治宮殿を彩っていた美術品が紹介されています。
明治宮殿は、旧江戸城西の丸御殿跡に建設された和洋折衷の建築です。天皇が政務を行う御座所や、大日本帝国憲法の発布式が行われた正殿などを有する、皇室の中心的な施設で、帝室技芸員らによる多くの品々が室内を彩っていました。
明治宮殿を彩った花瓶や花盛器など。後方には当時の明治宮殿の写真も。
高村光雲は明治時代から大正時代を代表する彫刻家。帝室技芸員でもあります。
能楽の祝言曲である三番叟を猿が舞う姿は、古くからおめでたい意匠とされてきました。光雲の《猿置物》は秩父宮雍仁親王の成年式に際して制作されたもの。雍仁親王から大正天皇・貞明皇后に贈られました。
高村光雲《猿置物》大正12年(1923)[展示期間:1/4~2/4]
展示室の奥に鎮座している巨大な日本画は、横山大観の《日出処日本》。富士は大観の十八番で、生涯に2,000点におよぶ富士の絵画を描いたとされていますが、その中でも最大級の作品です。
作品を描いた昭和15年は、神武天皇の即位から2600年にあたるとされた記念の年。大観から昭和天皇に献上された作品です。
横山大観《日出処日本》昭和15年(1940)[全期間展示]
残念ながら明治宮殿は、終戦を間近に控えた昭和20年(1945)5月25日の空襲で焼失。戦災で苦しむ国民生活の向上を優先すべしとする昭和天皇の意向もあって、新たな宮殿はなかなか建築されませんでした。現在の宮殿である新宮殿が建設されたのは、昭和43年(1968)になってからです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2024年1月9日 ]