浮世絵の黄金期とされる天明〜寛政期(1781-1801)に活躍した浮世絵師、鳥文斎栄之(ちょうぶんさい・えいし1756−1829)。長身で楚々とした独自の美人画様式を確立した重要な浮世絵師ですが、多くの作品が海外に流出したこともあり、国内で栄之の全貌を知ることは難しくなっていました。
このたび、ボストン美術館から15点、大英博物館から14点が里帰りするなど、栄之の作品が国内外から集結。世界初の大・鳥文斎栄之展が、千葉市美術館で始まりました。
千葉市美術館「サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展」美術館入口
鳥文斎栄之は祖父が勘定奉行という、れっきとした旗本出身です。17才で家督を継ぎ、絵を描くことを好んだ第10代将軍徳川家治の絵具方を務めました。
寛政元年(1789)には早くも隠居し、浮世絵に道を絞った栄之。《関ヶ原合戦図絵巻》は、武士としての出自が感じられる作品です。
鳥文斎栄之《関ヶ原合戦図絵巻》文政(1818-30)前期頃 奈良県立美術館蔵[前後期で巻替]
現在では高い知名度を誇る絵師でも、デビュー時には細判の役者絵など小さな画面の作品が多いなか、栄之は大判で、しかも見応えがある続絵の仕事を多く与えられるなど、恵まれたスタートを切りました。
豪華な屋形船を描いた《吉野丸船遊び》は、男性客が描かれていないので、美人画として仕立てられた作品です。栄之は隅田川をテーマにした続絵を得意にしており、晩年までしばしば手がけています。
鳥文斎栄之《吉野丸船遊び》天明7-8年(1787-88)頃 千葉市美術館蔵[全期間展示]
同時期に活躍し、栄之のライバルといえる存在が、喜多川歌麿です。両者は美人画を得意とし、主題にも共通点が見られます。
栄之の作品を多く手がけた版元は、老舗の西村屋与八。一方の歌麿を重用したのは、新興版元の蔦屋重三郎です。同じ美人画でも、栄之の全身座像に対して、歌麿は大首絵が主流。両者は別のブランド戦略を取り、棲み分けが意識されていたとも考えられます。
鳥文斎栄之《若那初衣装 松葉屋染之助 わかき わかば》寛成6年(1794)頃 ボストン美術館蔵[全期間展示]
浮世絵の黄金期とされる天明・寛政期(1781-1801)には、鮮やかな紅色の作品が好まれる一方、意識的に紅色を使わない「紅嫌い」の作品も出版されました。
多くの絵師が「紅嫌い」の作品を描いていますが、閑雅な趣をもたらすこの色合いは、栄之の作品にぴったり。栄之は「紅嫌い」の作品を最も多く出版した浮世絵師でもあります。
(左から)鳥文斎栄之《風流やつし源氏 朝顔》天明7-8年(1787-88)頃 大英博物館蔵 / 鳥文斎栄之 《風流やつし源氏 松風》寛成4年(1792)頃 大英博物館蔵[ともに全期間展示]
栄之は旗本出身ということもあり、作品に描かれる世界も、品の良い上流層の女性や、教養を感じさせる古典主題の題材が目にとまります。
連作《風流略六芸》で描かれている六芸とは、中国の士大夫階級の人々が修めるべき技芸のことです。絵では六芸になぞらえて琴・十種香・茶湯・和歌・生花・画が描かれています。
(左から)鳥文斎栄之《風流略六芸 画》寛政5-6年(1793-94)頃 ボストン美術館蔵[全期間展示] /鳥文斎栄之《風流略六芸 琴》寛政5-6年(1793-94)頃 慶應義塾蔵[展示期間:1/6~1/21]
栄之には多くの門人がおり、鳥高斎栄昌、鳥橋斎栄里、一楽亭栄水らが知られています。
ただ、栄之の門人たちはその出自がわかっていない事が多く、ひょっとしたら門人たちもまた武家の出身だったため、出自を明かすことに抵抗があったのかもしれません。
鳥高斎栄昌による《郭中美人競 大文字屋内本津枝》は、錦絵ながら現存するのはこの1点のみ。極めて貴重な作品です。
鳥高斎栄昌《郭中美人競 大文字屋内本津枝》寛政9年(1797)頃 ボストン美術館蔵[全期間展示]
天明期(1781-89)末は、武家と町人が相混じって狂歌に熱中するグループが多く出現。浮世絵界とも結びついて、豪華な出版物が盛んに制作されました。
栄之自身も狂歌師との交流が深く、天明期を代表する文人・狂歌師の大田南畝の肖像画を肉筆で多く残しています。
鳥文斎栄之/大田南畝讃《大田南畝像》文化11年(1814)頃 東京国立博物館蔵[展示期間:1/6~2/4]
寛政の改革で幕府の出版規制が強まった影響か、寛政10年(1798)頃から、栄之は肉筆画に集中するようになります。その後約30年弱にわたり、華やかな美人画を次々と生み出していきました。
本展では新発見の作品もいくつかあり、《和漢美人競艶図屏風》もそのひとつ。中国と日本の伝説の美人が3人ずつ配されており、左から、趙飛燕、紫式部、楊貴妃、清少納言、王昭君、小野小町と思われます。栄之は中国の装いや調度品にも詳しかったことが分かります。
鳥文斎栄之《和漢美人競艶図屏風》文政(1818-30)前期頃 個人蔵[全期間展示]
西欧でジャポニスムが流行すると、多くの栄之の作品が海外に渡り、愛好されました。栄之の作品はもともと摺られた数が多くなかったと考えられており、日本国内ではさらに貴重な作品になりました。
エピローグでは錦絵や肉筆浮世絵を集めていた海外のコレクターらの売立目録が紹介されています。
『希少で価値の高い浮世絵版画 アーサー展フィッケコレクション』1920年2月1日 千葉市美術館[全期間展示]
旗本出身ならでは、というまとめ方はやや乱暴かもしれませんが、上品な作風はとても魅力的な鳥文斎栄之。本展で初公開となる新発見の作品も5点出展されています(すべて肉筆画、全期間展示)。お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2024年1月5日 ]