三井グループの創業者・三井高利(1622~94)によって、1673年に開店した三井越後屋。今年、2023年に創業から350周年となることを記念して、創業期から成長期の事業や文化、信仰を紹介する展覧会が、三井記念美術館で開催中です。
三井記念美術館「三井高利と越後屋 ― 三井家創業期の事業と文化 ―」 展示風景
三井高利は、伊勢松坂の生まれ。祖父の高安は、佐々木六角氏に仕える武将として越後守を名乗っていましたが、六角氏が信長に滅ぼされ、高安は一族を連れて伊勢に移り住み商人となったと言われています。
高利の両親は松坂で酒や味噌、質屋を営み“越後殿の酒屋”と呼ばれるほど繁盛します。八人兄弟の末っ子の高利は、14歳の時に江戸の兄の店に働きに出て商才を発揮し、兄の店を盛りあげます。その後、金融業を営んだ後、52歳の時に呉服店「越後屋」を開業します。これが、三井の事業の始まりです。
富士山を中心に越後屋が透視図法で描かれた作品からは、駿河町での三井の規模の大きさが分かります。
《駿河町越後屋正月風景図》 鳥居清長筆 江戸時代・18世紀 三井記念美術館(北家旧蔵)
最初の展示室では黎明期の人々を紹介するとともに、愛用品から足跡を辿っていきます。茶の湯に関する高利の唯一の遺品として展示されているのは、毎年伊勢松坂に一族が集まった際の席で高利が濃茶を点てたという赤楽茶碗です。
《赤楽茶碗 銘再来》 樂道入 江戸時代・17世紀 三井記念美術館(北家旧蔵)
創業期の越後屋は高利の指揮の下、息子たちが実務を担いました。元禄期には幕府の呉服御用や為替御用を請けて、江戸・京都・大阪に店を構える“日本一の商人”となります。
井原西鶴(1642-1693)が発表したビジネス小説「日本永代蔵」にも、三井をモデルとした日本一の大商人になる「三井九郎右衛門」という架空の人物が登場します。 ここには当時の商慣習を覆した、店頭での現金定価販売を行う“現金掛け値なし”についても言及があります。
《日本永代蔵》 井原西鶴 江戸時代・貞享5年(1688) 三井文庫蔵
珍しい資料のひとつとして、起こし絵図と言われる建物の内部と外部を同時に見ることができる立体模型も展示されています。店内の奥行の深さから、越後屋の規模の大きさを感じることができます。
《江戸本店本普請図画面》 江戸時代・天保3年(1832) 三井文庫蔵
元文年間(1736-1741)、幕府の貨幣改鋳によって経営が好転した三井家は、江戸時代を通じて最も営業利益を伸ばします。文化面の支出も顕著となり、なかでも茶道具の収集が盛んに行われます。
茶の湯は、京都の豪商としての教養であり、茶道具の名品を所有することがステイタスでもありました。三井家寄贈の名物茶道具や道具帳などから、その動きを垣間見ることができます。
三井高平と高房親子の合筆の茶碗は、新年に一族が集まった際に祝儀として使われていたものです。胴に“福寿”の文字と打ち出の小槌の絵、見込みには亀の絵が描かれた豪華な大福茶椀です。
(手前)《赤楽大福茶碗 胴 小槌絵・福寿文字、見込 亀絵 三井高平・高房合筆》 江戸時代・18世紀 三井記念美術館(北家旧蔵)
神々への信仰も篤かった三井家。商売繫盛のご利益で知られる恵比寿・大黒屋などの福の神や、商売繫盛から五穀豊穣などのご利益がある稲荷(三囲神社)、伊勢神宮などを大切にしてきました。
越後屋では、毎年1月と10月の19日に商売繫盛を祈願する恵比寿講が行われていたほか、各店に高房筆の大黒・恵比寿図を掛けることも習わしとしていました。
三井記念美術館「三井高利と越後屋 ― 三井家創業期の事業と文化 ―」 展示風景
高利の祖父・高安の所用要として伝わり、顕名霊社の御神宝として祀られていた甲冑も展示されています。顕名霊社は、高安をはじめ没後100年を経過した三井家の先祖夫妻を祀った祖霊社で、三井家がかつて武将であったことを継承していったことも分かります。
三井記念美術館「三井高利と越後屋 ― 三井家創業期の事業と文化 ―」 展示風景
江戸時代最大級の豪商であった三井家の人々。商売における手腕だけでなく、文化や信仰における篤さも事業としての発展を遂げる秘訣になり得たのではないでしょうか。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2023年6月27日 ]