普段、何気なく使っている「日本画」という言葉。この言葉ができたのは、明治時代にお雇い外国人として来日し、日本美術の保護に努めたアーネスト・フェノロサがきっかけだそう。西洋画が流れ込んできた時代だからこそ、日本の伝統的な絵画は「日本画」と改めて名指されるようになりました。
ポーラ美術館で2023年7月15日から開催されている「シン・ジャパニーズ・ペインティング 革新の日本画」展では、「日本画」という言葉ができた明治時代から現代に至るまで、「日本画とは何か?」という問いに向き合った画家たちの試行錯誤が紹介されています。
会場入口
会場に入ると、20世紀の日本画界をけん引した画家、杉山寧の『慈悲光』が展示されているのが目に入ります。この作品は、杉山が奈良の室生寺の十一面観音像を実際の取材に基づいて描いた作品です。自身のバックボーンである伝統的な日本美術を見つめ直そうとする作家のまなざしが感じられました。
杉山寧《慈悲光》1936年 ©Ken KATO
さらに、同じ展示室には、逆さまになった巨大な日本列島が。この作品は、現代に活動する日本画家・三瀬夏之助が制作したものです。普段見慣れたはずの日本列島をひっくり返すだけでどこか異質な印象を与える本作は、鑑賞者が無意識に持っている「日本」へのイメージを問い直してくるかのよう。
2名の作品が併置された展示室は、明治時代から21世紀に至るまで、「日本画を描くこと=日本とは何かを問うこと」であったことを感じさせる、非常に印象的なものでした。
三瀬夏之助《日本の絵》2017年
続く第1章「明治・大正期の日本画」では、西洋の文物を日本画の技法で描いた作品など、一気に西洋文化が流入した時代を生き抜いた画家の取り組みが紹介されています。
(左から)菱田春草《春野》1901年、下村観山《ダイオゼニス》1903年、浅井忠《パリ婦人散歩図》1903年
第2章「日本画の革新」では、従来よりも発色がよく鮮やかな岩絵具や丈夫な和紙の開発により、新しい様式を模索する画家たちの作品が展示されていました。特に岸田劉生や岡田三郎助、レオナール・フジタら、西洋画と日本画のはざまで独自の表現を追求した画家の作品の印象が鮮烈です。
(左から)岡田三郎助《婦人半身像》1936年、岡田三郎助《あやめの衣》1927年
第3章「戦後日本画のマティエール」では、戦後、西洋の油彩画のマティエールに影響を受けながら色鮮やかな岩絵具での表現を追求した杉山寧、東山魁夷らの作品を鑑賞できます。
(左から)杉山寧《渙》1974年、杉山寧《洸》1992年
展示後半の第4章「日本の絵画の未来—日本画を超えて」では、現在活動中のアーティスト10名以上の作品が並びます。塩を用いて「鎮魂」をテーマに制作する山本基や、マタギ文化に関わりながら生活し、自身が仕留めた熊から膠を作って作品を描く永沢碧衣ら、さまざまなアーティストの実践を観られる充実の展示です。
山本基《時を纏う》2023年
永沢碧衣《山景を纏う者》2021年
特に、山本太郎と杉本博司、それぞれが尾形光琳「紅白梅図屏風」をオマージュして制作した作品の対比が印象的でした。光琳の構図を踏襲して金地に鮮やかな紅白を用い、飲料缶など現代文化のモチーフを巧みに取り込む山本と、同じ作品を月光に映されたモノクロームの世界として提示する杉本。1つの作品から生まれた対照的な2作品は、「日本画」の解釈の余白を象徴するようです。
(左から)山本太郎《紅白紅白梅図屏風》2014年、杉本博司《月下紅白梅図》2014年
また、アトリウム ギャラリーではPIGMENT TOKYOの企画協力のもと「マテリアルズ 日本画材の博物館」として素材の面から日本画を紹介する展示が開催されています。色とりどりの岩絵具や金属箔など、日本画を支える素材の美しさにも気付かされました。
「マテリアルズ 日本画材の博物館」展示風景
7月15日から12月3日まで、約142日間にわたって開催される本展。なんと、展示替えが期間中3回予定されています。7月22日~23日にかけて公開制作を行った山本基による新作も展示されており、何度も足を運びたくなる展覧会です。
[ 取材・撮影・文:芝 / 2023年7月15日 ]
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