かつて、日本の十大商社の一角を占めていた安宅産業。同社で会長を務めた安宅英ー(1901~94)が収集した東洋陶磁のコレクションが、安宅コレクションです。
現在は大阪市立東洋陶磁美術館が所有する安宅コレクションから、選び抜かれた101点の名品を紹介する展覧会が、泉屋博古館東京で開催中です。
泉屋博古館東京 特別展「大阪市立東洋陶磁美術館 安宅コレクション名品選101」会場入口
展覧会は第1章「珠玉の名品」から。まずは、特に注目すべき逸品です。
大阪市立東洋陶磁美術館の略称「MOCO」から“MOCOのヴィーナス”の愛称がつけられたのは、唐時代の《加彩 婦女俑》。ふくよかなスタイルは、盛唐期の「美人」像の典型です。彩色は失われていますが、顔には頬紅の跡が残ります。
《加彩 婦女俑》唐時代・8世紀
安宅英一と古美術商の間には、ユニークなエピソードも残っています。
日本橋の老舗古美術商・廣田益繁(号・不孤斎)は、気に入っていた3つの中国陶磁を「三種の神器」として秘蔵していました。安宅はこれを手に入れようと頼みますが、不孤斎は拒否する書簡を送りつけます。
ある日、安宅邸に呼ばれた不孤斎が座敷に通されると、なんとその断りの書簡が軸装されて床の間に飾られていました。唖然とする不孤斎を前に、安宅は再び懇願。ついに不孤斎は根負けし、「三種の神器」は安宅のものになりました。
会場で「三種の神器」は、並んで展示されています。
(左から)《五彩 松下高士図 面盆(「大明萬曆年製」銘)》景徳鎮窯 明時代・万暦(1573〜1620) / 《紫紅釉 盆》鈞窯 明時代・15世紀 / 《白磁刻花 蓮花文 洗》定窯 北宋時代・11〜12世紀
第2章は「韓国陶磁の美」。高麗時代の青磁は「翡色」と呼ばれる美しい青色で、多くの人々を魅了してきました。
重要文化財《青磁象嵌 童子宝相華唐草文 水注》は、まん丸な胴体の水注です。胴体には、両手で蔓を握ってよじ登ろうとする、愛らしい童子が描かれています。
重要文化財《青磁象嵌 童子宝相華唐草文 水注》高麗時代・12世紀後半〜13世紀前半
第3章は「中国陶磁の美」。日本における陶磁器の価値観は、茶の湯文化によって形成され、とくに中国の陶磁器は「唐物」として、日本のやきものとは別格の存在でした。
国宝《飛青磁 花生》は、均整のとれたプロポーション、美しい釉色などで、元時代の龍泉窯青磁を代表する名品です。元時代の龍泉窯は日本に大量にもたらされ、この種の瓶は、唐物の花入として重用されました。
国宝《飛青磁 花生》龍泉窯 元時代・14世紀
展覧会メインビジュアルは、茶碗に木葉が舞い落ちたかのように斬新なデザインの茶碗。見込み(茶碗の内側)にあるのは本物の桑の枯れ葉です。
南宋の陳与義の詩に「桑葉能通禅」(桑の葉は禅に通じることができる)という一句があるように、木葉装飾と禅とは密接な関係があります。
加賀藩主前田家に伝来したもので、日本伝世の木葉天目の最高傑作として知られる名品です。
重要文化財《木葉天目 茶碗》吉州窯 南宋時代・12〜13世紀
最後の展示室はエピローグ。昭和44年(1969)、安宅英一の父で、安宅産業の創業者である安宅彌吉の故郷・金沢で、初めての安宅コレクション展が開催されました。
会場に姿をみせた人間国宝の陶芸家・濱田庄司は《粉青線刻 柳文 長壺》の前で立ち止まり、はっと息をのんだ後に「こんなに大きいものとは思いませんでした」と語ったと伝わります。
《粉青線刻 柳文 長壺》朝鮮時代・15世紀後半〜16世紀
安宅産業は1977年に破綻(伊藤忠商事に吸収合併)。コレクションのうち、速水御舟の作品は山種美術財団に譲渡されたものの、東洋陶磁はなかなか引き取り手が現れず、その帰趨が国会でも取り上げられるなど、散逸の危機が迫りました。
そこで動いたのが、安宅産業と同じく大阪を本拠とする住友グループでした。巨額の資金を大阪市の基金に拠出し、その運用益で大阪市立東洋陶磁美術館を建設。完成後に大阪市が安宅コレクションを買い取るという手法で、現在に至っています。
住友家旧蔵の美術品を保存、公開するために設立された財団法人 泉屋博古館。安宅コレクションを泉屋博古館東京で展示するのは「里帰り」といえるかもしれません。大阪市立東洋陶磁美術館は現在改修工事中で、2024年春頃に再開館する予定です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年3月17日 ]