日本万国博覧会(大阪万博)の「太陽の塔」などで知られる美術家、岡本太郎(1911-1996)。
絵画、立体、パブリックアートから生活用品まで強烈な作品を次々と生み出し、シニア以上の人は「芸術は爆発だ!」の流行語で覚えている方が多いかもしれません。
太郎の主要な作品を揃えた過去最大規模の大回顧展が、東京都美術館に巡回してきました。
東京都美術館「展覧会 岡本太郎」会場入口
展覧会は6章構成ですが、最初のフロアは岡本太郎の世界を俯瞰する展示空間。「これこそ岡本太郎」といえる絵画や立体が並び、圧倒的な密度で来館者を迎えます。
東京都美術館「展覧会 岡本太郎」ロビーフロア
展覧会は第1章「“岡本太郎”誕生 —パリ時代—」から。岡本太郎は神奈川県生まれ。父は漫画家の岡本一平、母は歌人で小説家の岡本かの子です。
幼少期から絵を好み東京美術学校に進みますが、大きな転機となったのが1929年。父の仕事で家族とともに渡欧し、両親は先に帰国するも、単身でパリに残り、芸術家を目指すようになります。
ピカソ作品に衝撃を受け、前衛芸術家や思想家たちと親交。哲学、社会学、民族学も学び、独自の思想を深めていきました。
最初に展示されているのは、近年見つかって話題になった3作品。パリと東京・青山にあった太郎の作品は、戦時中にほとんどが消失していますが、この3作品は1931〜33年にパリで描かれたもので、極めて貴重な作品です。
(左から)推定 岡本太郎《作品B》1931-33頃 / 推定 岡本太郎《作品A》1931-33頃 / 推定 岡本太郎《作品C》1931-33頃 (3点とも)コペール・ル・ガールコレクション
《傷ましき腕》は初期の代表作。大きく結ばれた深紅のリボンに、傷口も痛ましい右腕。ただ、力強く拳を握りしめています。
国際シュルレアリスム・パリ展に出品され、高く評価された作品です。
(左から)《空間》1934/54年 川崎市岡本太郎美術館蔵 / 《傷ましき腕》1936/49年 川崎市岡本太郎美術館蔵
《露店》は、米国のグッゲンハイム美術館からの出展。日本での展示は約40年ぶりとなります。
手前の色彩豊かな商品列に対し、屋台の中は暗く、リボンをつけた売り子はうつむいて笛を吹いています。1949年に《傷ましき腕》とともに再制作されました。
(左から)《露店》1937/49年 ソロモン・R・グッゲンハイム美術館蔵(ニューヨーク) / 《コントルポアン》1935/54年 東京国立近代美術館蔵
第2章は「創造の孤独 —日本の文化を挑発する—」。大戦の勃発で約10年間滞在したパリから帰国した太郎は、中国戦線へ出征。俘虜生活を経て1946年に復員しました。
戦後は旧態依然とした日本美術界の変革を目指し「夜の会」を結成。「対極主義」を掲げて前衛芸術運動を始めます。
新しい芸術思想を提示した著書『今日の芸術』はベストセラーになり、太郎は文化領域全体の挑発者として存在感を増していきました。
(左手前)《夜》1947年 川崎市岡本太郎美術館蔵
第3章は「人間の根源 —呪力の魅惑—」。太郎は前衛芸術を進める一方で、自らの出自として日本文化への関心も深めていきます。
1951年には東京国立博物館で縄文土器を見て、その造形に日本人の根源的な生命観を見出します。
50年代後半には雑誌の取材で全国を旅し、さらに韓国やメキシコにも足を伸ばし、自らの表現を深めていきます。
《竹富島の道》1959年 / 《角巻の女》1957年 / 《縄文土器(長野県出土)/東京国立博物館》1956年(3点とも)川崎市岡本太郎美術館蔵
第4章は「大衆の中の芸術」。「職業は人間である」と自称していた太郎は、他分野の人々とも積極的に交流し、活動の場を拡げていきました。
創作活動も、地下鉄通路や旧都庁舎の壁画などのパブリックアートをはじめ、時計、植木鉢、新聞広告まで広がり、大衆にダイレクトに語りかけていきました。
第4章「大衆の中の芸術」
第5章は「ふたつの太陽 —《太陽の塔》と《明日の神話》—」。太郎は1970年の大阪万博で「テーマ館」のプロデュースを担当。科学技術の進歩を礼賛する博覧会において、あえてテーマとは真逆ともいえる、人間の太古からの根源的なエネルギーを象徴した《太陽の塔》を制作しました。
現在、渋谷駅に設置されている巨大壁画《明日の神話》も、この時期に描かれました。原子爆弾をテーマに、人類の進歩が生む負の側面を捉え、さらにそれを乗り越える未来への期待も込められています。
第5章「ふたつの太陽 —《太陽の塔》と《明日の神話》—」
最後の第6章は「黒い眼の深淵 —つき抜けた孤独—」。万博の後、太郎は広く一般にも知られるようになります。特に1981年の「芸術は爆発だ!」と叫ぶテレビCMで、日本で最も有名な芸術家になりました。
晩年まで制作への意欲は衰えることはなく、眼をモチーフにした作品などを発表。1996年に亡くなるまで、ダイナミックに活動しました。
展覧会の最後は、絶筆《雷人》が展示されています。
《雷人》1995年(未完) 岡本太郎記念館蔵
大阪からの巡回展ですが、大阪展とは全く違った構成。ロビーフロアで思いっきり岡本太郎の洗礼を受けて、その後で年代順に作品を見ていく流れで、とてもスムーズに太郎の世界を満喫できます。
東京展の後には、愛知県美術館に巡回します(2023年1月14日~3月14日)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫、坂入美彩子 / 2022年10月17日 ]