会場に入ると、いきなり《口紅》。神草の代表作というだけでなく、「大正から昭和にかけての京都画壇に於ける『美人画』の様相について語る時のアイコン」(小倉実子氏:展覧会図録より)といえます。
神草は神戸生まれ。美工(京都市立美術工芸学校)絵画科と絵専(京都市立絵画専門学校)では特待生になるなど、早くからその資質は認められていました。
この時代、世間で高い人気を誇っていたのが竹久夢二。神草も影響を受け(恋い焦がれていた女学生に、夢二の画集を見せてもらったからという説もあります)、さらに浮世絵の要素も取り入れた事で、作品は濃厚な官能性を帯びるようになります。
《口紅》は大正7年の第1回国展(国画創作協会展)で入選。京都画壇の頂点・竹内栖鳳にも絶賛されました。豪華な着物と、細く白い腕。何よりも舞妓の表情が、あまりにも妖しくて魅力的です。
翌年の第2回国展の出品を目指して描かれたのが《拳を打てる三人の舞妓》。ただ、間に合わずに断念。さらに翌年の第3回国展を目指しましたが、これも間に合わなかったため、中央だけを切断して出展。第3回帝展に遂に完成作を出品しましたが、これは現在は現在は消息不明になってしまいました。会場には草稿と、未成作、そして切断された作品の3点が並びます。
神草は脳溢血により38歳で急死。遅筆で寡作だった事もあり、現存する大作は3点のみ。小・中品も少なく、本展で現存作はほぼ出揃っています。初期の新南画風の作品や、官能性が弱まった昭和期の作品と、画業の変遷も見てとれます。
第1会場
第2会場では、神草の師匠である菊池契月とその門下生をはじめ、関連作家の作品が展示されています。
美工・絵専で教鞭を取った菊池契月。自らの画塾も設け、神草をはじめ多くの弟子を育てました。
木村斯光、梶原緋佐子らは神草と同じ契月門下。斯光もデカダンス風から、徐々に端整な美人画に変容。女流画家の梶原緋佐子は、生活感の漂う存在感の強い女性像が印象的です。
神草のライバルといえるのが、甲斐庄楠音。第1回国展に出品された《横櫛》は、神草の《口紅》と人気を二分しました。甲斐庄は後年は映画界に転身しています。
ニヤッと笑う強烈な《太夫》を描いたのは、稲垣仲静。将来を期待された画家でしたが、惜しくも25歳で亡くなっています。
第2会場
しばしば「デロリ」系と呼ばれる、これらの陰鬱でネットリした日本画は、洋画の岸田劉生らによる草土社からの影響を抜きには語れません。北方ルネサンスに傾倒し、徹底的な写実を追及した草土社。その波が大正時代の京都画壇にも及んだ、という構図です。
ただ、神草の作風の変遷を見ても分かるように、その系譜は長くは続きませんでした。昭和に入る頃になると影を潜め、今でもイメージしやすい、すっきりとした美人画が本流になっていきます。
正直、誰にでも愛される作品では無いかもしれませんが、この濃密さを前にすると、近代日本美術の幅の広さには驚くばかりです。個人的には、超が付くストライク。「おっ」と声を上げてしまう作品が多かったため、いつもより取材と撮影に時間がかかってしまいました。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年5月31日 ]
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