東京藝術大学のコレクションを紹介する本展、「雅楽」をテーマにした前期に続き、後期は前身である東京美術学校に設置された図案科の卒業制作にスポットを当てます。

東京藝術大学大学美術館「藝大コレクション展 2021 II期」会場入口
イントロダクションには、I期にも展示されていた《伎芸天》。仏教において、諸芸(美術・芸能などの芸術)上達の守護神として進行された天女で、こちらら1893(明治26)年、シカゴ・コロンブス万国博覧会に出品された作品です。

竹内久一《伎芸天》1893(明治26)年
第1章は「日本美術における文様・デザイン」。日本人は古来から、自然の景物や動植物などから文様を着想し、デザインに活かしてきました。
日本美術でデザインといえば、すぐに思いつくのが琳派。尾形光琳の《槇楓図屏風》は、伝俵屋宗達の作品を模写したものですが、葉や草花の数や配置を整理して、装飾性を際立たせています。

重要文化財 尾形光琳《槇楓図屏風》18世紀
第2章は「大戦前の図案科の卒業制作」。新しい都市文化が生まれ、商業美術の需要も高まった1920年代。「美術工芸品のための図案制作」という古典的な内容だった図案科の授業に対する不満が高まり、新進気鋭の美術家・今和次郎と斎藤佳三を講師に起用されました。
彼らの斬新な授業は学生たちに刺激を与え、卒業後に映画会社や衛生用品メーカー、百貨店の図案部や広告部などに就職。近代日本デザイン界の担い手になりました。

今和次郎《工芸各種図案》1912(明治45)年
卒業後に商業図案・ポスター研究で有名な「七人社」に合流し、杉浦非水らとともに活動したのが小池巌です。
《装飾模様図案》では、西洋で「裏切り」や「嫉妬」を表す色として知られる黄色の服を着た道化師を中心に、当時の不穏な社会情勢を描いています。

(左から)奥田政徳《装飾文様》1925(大正14)年 / 小池巌《装飾模様図案》1926(大正15)年
「大戦前の工芸科の卒業制作」にも、新しい息吹を感じさせる作品が並びます。
1926(大正15)年に工芸科の助教授に任命された高村豊周は、若手の作家たちと新興の工芸団体「无型」を結成。技巧に偏った旧来の工芸から決別し、個性を重視した工芸の創出を宣言しました。
《装飾文様(懊悩)》は、図案家・染色工芸家として活動した長安右衛門の作品。青い鳳凰が舞い、水瓶を持つ弥勒菩薩が立つ画面には、エネルギーが満ちています。
後に東京藝術大学のデザイン科教授になった須藤雅路は、日本におけるデザイン教育の草分け的な存在。卒業制作である《壁掛図案》には、さまざまな形象がコラージュ的に構成され、退廃的な雰囲気が漂います。

長安右衛門《装飾文様(懊悩)》1927(昭和2)年 / 須藤雅路《壁掛図案》1925(大正14)年
第3章は「現代の工芸・近代の卒業制作にみるデザイン」。現代の工芸作品にも、伝統的な技法・文様を用いつつ、新鮮な感覚を取り込まれています。
紹介されているのは、金属工芸の平松保城、ガラス工芸の藤田喬平、漆芸の増村紀一郎などの作品。それぞれ、工芸の各分野を代表する作家です。

(左奥から)平松保城《ペーパーウエイト》1983(昭和58)年 / 平松保城《スカルプチャー・ウエイト》1970-75(昭和45-50)年
修復記念展示として、元〜明時代の漆工芸品《牡丹大食籠》も展示されています。
「鎗金細鉤填漆」という、現存では希少な填漆技法でつくられた本品。修復前は閲覧もできないような状態でしたが、約半年間の修復で、安心して展示できる状態になりました。
同時に、科学的な分析も含めて各所を詳細に調査。後世に伝える重要な情報を整理しています。

《牡丹大食籠》元〜明時代(14〜15世紀)
展示されている作品の多くは、大学美術館開館以降では初めての公開となるものばかり。油画や日本画とは異なる、独特の造形表現をお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年9月2日 ]