ひとりひとりが、必ず持っている身体。ただ、ありのままの身体=ヌードの表現は、美術において常に論争の的となってきました。
ヌードの社会的な位置づけも踏まえつつ、表現の変遷を追う本展。前半は「物語とヌード」「親密な眼差し」「モダン・ヌード」と進みます。
ヴィクトリア朝の英国では、女性ヌードには多くの制約がありました。滑らかな肌で生々しさを排除した、フレドリック・レイトン。逆にウィリアム・エッティらは、主題や表現が適切でないと批判されました。
都市生活とヌード表現が結び付いたのは、19世紀末から。ピエール・ボナールは妻をモデルに、入浴する人物を描きました。対象との距離の近さが際立ちます。
キュビスムや未来派などのモダニズムの作家も、ヌードをテーマにしています。そのアプローチ方法は、プリミティヴ・アートにも類似しています。
1~3章展覧会メインビジュアルとして大きく紹介されているのが、オーギュスト・ロダン《接吻》。「エロティック・ヌード」の章で展示されています。
ロダンは、生存中に大理石像の《接吻》を3体制作しています。フランス政府が発注した作品と、それを見たコレクターによって注文された2作品で、本展で来日したのは後者。高さ182.2センチの大作で、エロティシズムと理想主義が完全に調和した傑作です。
ロダンの《接吻》は、約100年前に武者小路実篤が絶賛するなど、日本でも早くから注目を集めていましたが、今回が待望の初来日。しかもこの作品のみ、どなたでも撮影いただけます。
4章「エロティック・ヌード」 オーギュスト・ロダン《接吻》後半は「レアリスムとシュルレアリスム」「肉体を捉える筆触」「身体の政治性」「儚き身体」という流れ。社会や意識の変化にともなって、ヌード表現もさまざまな様相を見せていきます。
球体関節人形のハンス・ベルメールは、ふたつの臀部を持つ人体を制作。バルテュスによるエロティックな表現は、今日でも物議を醸しています。
50年代以降には、絵画の筆触を重視した絵画が制作。フランシス・ベーコンは孤独や不安を表現。ルシアン・フロイドは厚塗りで濃密なヌードを描きました。
70年代にはフェミニズムの意識が高揚。「男性からの視線」というそれまでのヌードに対し、真っ向から対峙する動きも生まれました。
最後に展示されている、フィオナ・バナー《吐き出されたヌード》は、裸体のモデルを言葉で記述したもの。肉体は全く描かれていませんが、ヌード作品です。
5~8章200年に渡るヌードの表現の変遷を一望できる展覧会。テートにより国際巡回展として企画されたもので、2016年にシドニー(オーストラリア)で始まり、オークランド(ニュージーランド)、ソウル(韓国)と巡回してきました。日本では
横浜美術館だけでの開催です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年3月23日 ]■横浜美術館 NUDE に関するツイート