鎌倉時代に日本にもたらされた、喫茶の風習。まずは禅僧の中で広まり、その精神性を武士が尊んだ事で、侘び・寂びなど日本人の美意識を反映しながら「茶」の文化が形づくられてきました。
茶の湯が発展するとともに、多くの茶道具が賞玩されるようになります。館蔵品の中から、掛物、花生、茶入や茶碗、水指など、茶の湯にまつわる美術を紹介する展覧会が、出光美術館で開催中です。
出光美術館「松平不昧 生誕270年 茶の湯の美」会場入口
展覧会冒頭は、トピックス的な特集「不昧の眼 ─『雲州蔵帳』の名宝」から。松平不昧生誕270年を記念したエリアです。
大名茶人として名高い、松江藩七代藩主・松平不昧(治郷)。数々の美術品を蒐集し、伝来の名物茶道具の詳細を記した『古今名物類聚』は、現代でも茶道具の手引きとされています。
『雲州蔵帳』は、不昧によって蒐集された茶道具を記録した、松平家の蔵帳です。牧谿とともに日本の水墨画に大きな影響を与えた玉澗による名品《山市晴嵐図》も、「宝物之部」に記載されています。
重要文化財 玉澗《山市晴嵐図》中国 南宋時代末期~元時代初期
第1章「茶の湯の名品」では、茶の湯の道具別に優品を展示。ここでは4点ご紹介しましょう。龍泉窯の《青磁浮牡丹不遊環耳付花生》は、青磁の花生。胴部にあしらわれた牡丹は、宋時代に熱狂的に愛好されました。
《青磁浮牡丹不遊環耳付花生》龍泉窯 中国 南宋時代~元時代
《祥瑞蜜柑水指》は、ふっくらと丸みを帯びたかたちから「蜜柑」と名付けられた水差し。「祥瑞」(しょんずい)は中国明時代末期に、景徳鎮窯が日本の茶人好みに合わせて焼造した染付茶道具の様式です。深く冴えた青い染付と、ムラがなく澄んでいる透明釉が特徴といえます。
《祥瑞蜜柑水指》景徳鎮窯 中国 明時代末期
野々村仁清による《色絵鶏香合》は、愛らしい作品。仁清は型造りの香合の中でも、とりわけ鳥形の香合が得意でした。仁清の型物香合は人気があり、肥前などでも類似する型物がつくられていました。
野々村仁清《色絵鶏香合》江戸時代前期
《奥高麗茶碗 銘さざれ石》は重厚感のある茶碗で、朽葉色の釉は温和な雰囲気です。「奥高麗」は唐津焼の茶碗のなかで、高麗茶碗に似た作風を示す名称でもあります。
《奥高麗茶碗 銘さざれ石》唐津 桃山時代
第2章は「旅する茶道具 ─茶箱の世界」。「野点」は野外で開かれる茶会のこと。野点の席には、携帯用の点前道具が収められた、茶箱や茶籠が用いられることがあります。
《螺鈿竹雀文籠地茶箱》は豪華な螺鈿の茶箱。雀や笹竹のデザインで、中国明時代から清時代の作と思われます。茶碗は絵唐津、菱形茶入は祥瑞山水文。茶杓は象牙製です。近衛家に伝わりました。
《螺鈿竹雀文籠地茶箱》江戸時代前期
第3章は「懐石のうつわ」。正式な茶事は、懐石(食事)を伴います。懐石は料理だけでなく、うつわも重要な要素になります。
《織部千鳥形向付》は、千鳥の形にあしらったうつわです。ロクロの後、型打ちでつくられており、翼部分には銅緑釉が掛けられ、中央部には藤の花房や線文などが銹絵で描かれています。
《織部千鳥形向付》美濃 桃山時代
最後の第4章は「近現代の茶道具」。茶の湯の道具として、伝来のものが尊ばれるのはもちろんですが、亭主の好みによって取り合わされる事で、新しい茶道具も生み出されていきます。
板谷波山は、陶芸家として初めて文化勲章を受賞した近代の作家。波山による《彩磁桔梗文水差》は、八つの花弁が配されたデザインです。うつわは昭和28年の作ですが、この意匠は明治30年代にはすでに考案されており、当時最先端だったアール・ヌーヴォー様式に学んだものです。
板谷波山《彩磁桔梗文水差》昭和28年(1953)
なお出光美術館では本展にあわせて、館蔵の『御茶器帳 (雲州蔵帳)』を全文翻刻した『出光美術館蔵 御茶器帳(雲州蔵帳)』も刊行しました。単体では1,200円ですが、展覧会の図録(2,300円)と一緒に購入すると、あわせて3,000円というお買い得価格です(同時購入の取り扱いはショップのみ)。
新型コロナウイルスの影響で休館が続いていた出光美術館も、いよいよ本展で再スタート。この展覧会から、オンラインによる日時指定予約システムが導入されていますので、ご注意ください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年4月15日 ]