「勝者の数だけ敗者がいる」とは、誰が言ったのか分かりませんが、戦いのたびに生まれる勝者と敗者。栄光を手にした勝者に対し、敗者は侘しく惨めですが、日本の小説や物語ではしばしば敗者が取り上げられ、私たちの心を惹きつける敗者も多数います。
浮世絵に描かれたさまざまな敗者たちに焦点を当てる展覧会が、太田記念美術館で開催中です。

太田記念美術館「江戸の敗者たち」会場風景
会場は4章構成で、第1章「歴史の中の敗者たち」に、最も多くの作品が並びます。
この章では、歴史上の政争・戦争で敗れたものたちを描いた浮世絵を紹介。浮世絵が描かれた時代順ではなく、歴史の時代順に並んでいるのがポイントです。
冒頭は菅原道真。左大臣・藤原時平の讒言で太宰府に左遷となった道真は、紛れもなく政争に敗れた敗者でしょう。敗れた道真が神格化されたのも、日本ならではといえそうです。

小林清親《菅公配所之図》明治35年(1902)2月
続いて、治承・寿永の乱。いわゆる源平合戦です。大和に逃げる常盤御前の胸に抱かれる牛若は、後の源義経。平家の台頭により衰退した源氏は、この時点では敗者といえます。

歌川広重《義経一代図会 発端 三子を伴て常盤御ぜん漂ろうす》天保5~6年(1834~35)頃
平清盛は太政大臣まで出世し、娘を天皇に嫁がせるなど栄華を極めましたが、そのふるまいに宮廷が反発。諸国の源氏も挙兵して、平氏は徐々に劣勢に立たされます。病に倒れた清盛の背後には、鬼の形相の閻魔大王が。勝者と敗者が入れ替わる気配が漂います。

月岡芳年《平清盛炎焼病之図》明治16年(1883)8月
そして最後の戦いは壇ノ浦へ。敗者となった平家の一門は安徳天皇とともに、海の藻屑となりました。
この作品では、三種の神器を探す事を命じられた海女たちが海の底で見た、平家一門の亡霊が描かれています。

歌川芳虎《西海蜑女水底ニ入テ平家ノ一族ニ見》天保15~弘化2年(1844~45)頃
時代は下って、南北朝時代。楠木正成の活躍は『太平記』などで知られ、後醍醐天皇に仕えた忠臣のイメージが流布されました。
こちらは正成が最後の戦いにおもむく場面。子の正行に今生の別れを告げています。

豊原国周《楠正成》明治26年(1893)
本展を代表する作品がこちら。激怒した織田信長が明智光秀を扇子で打つ、有名な場面です。昨年の大河ドラマで、染谷将太が長谷川博己をムチャクチャに打ち付けたシーンを思い出します。
光秀は主殺しの悪人ですが、江戸時代にも「非情な主君から侮辱を受け、恨みをつのらせる弱者」という描かれ方もされており、人気があったようです。

歌川豊宣《新撰太閤記 此人にして此病あり》明治16年(1883)6月
こちらは大正時代の新版画。表情や構図が抜群です。
歌舞伎狂言「時今桔梗旗揚」で初代中村吉右衛門が扮する武智光秀。武智光秀のモデルは、もちろん明智光秀です。

名取春仙《初代中村吉右衛門の馬だらひ光秀》大正14年(1925)5月
こちらは大坂の陣。負傷した兵をいたわり、水を飲ませているのは真田信繁(幸村)。善戦むなしく、敗北する事となります。
月岡芳年の「血みどろ絵」の代表的な一点です。

月岡芳年《魁題百撰相 滋野左ヱ門佐幸村》明治元年(1865)12月
赤穂事件は、双方が敗者といえるかもしれません。吉良上野介は討ち取られますし、敵討ちに成功した大石内蔵助らの浪士も切腹に。
ただ、悲劇のヒーロー像は芝居や小説では大人気となり、『仮名手本忠臣蔵』は今でも上演される名作です。

歌川芳艶《義士夜討ノ図》安政4年(1857)9月
幕末の「悲劇の敗者」は数えきれないほどいますが、こちらは白虎隊。飯盛山で自刃した少年たちの姿は、今でも胸に響きます。
なお、この作品の作者である肉亭夏良は、小林清親の初期の画号という説もあります。

肉亭夏良《白虎隊英勇鑑》明治7年(1874)11月
第2章は「倒される巨悪」。小説や歌舞伎の世界では、悪役が強ければ強いほど主役が引き立ちます。そのため、モデルは実在する人物でも、極端な脚色がされる場合がしばしばあります。
牛車の上で舌を出すのは、藤原時平。ひとにらみするだけで、左の梅王丸と桜丸が動けなくなってしまいました。

歌川豊国《「菅原伝授手習鑑」車引》寛政8年(1796)7月
第3章は「1対1!対決のゆくえ」、いわゆるタイマン勝負です。
がっぷり四つに組んでいるのは、当麻蹴速と野見宿禰。『日本書紀』に記された故事で、相撲の起源とされる真剣勝負です。ちなみに敗者の当麻蹴速は背中側。腰を踏み折られて死んだとされています。

月岡芳年《芳年武者无類 當麻蹴速 野見宿祢》明治16年(1883)
最後の第4章は「勝敗はどちらに?」。一転して、ユーモアあふれる勝負を描いた作品です。
飲み比べをしているのは、力士の谷風と遊女の花扇。行司は五代目市川団十郎。三者とも当時の江戸を代表する人気者でした。

勝川春好《江戸三幅対》天明後期(1785~89)頃
現在でも甲子園でサヨナラ負けをした球児に大きな声援がわくように、敗者に対する特別な想いはわたしたちのDNAに組み込まれているのかもしれません。
浮世絵好きには当然ながら、歴史好きにおすすめしたい展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年4月14日 ]