「美しい術」と書いて「美術」。もちろん、美しいものを美しく表現する事ですが「美しい」だけでは表せない美術作品も、数多く存在します。
本展は「あやしい」がキーワード。幕末から昭和初期に制作された絵画、版画、雑誌や書籍の挿図などから「あやしい」魅力にあふれた作品を紹介する展覧会が、東京国立近代美術館で開催中です。
東京国立近代美術館「あやしい絵展」 美術館前の告知
展覧会は大きく時代順に3章構成。さらに2章は5つのコーナーに分かれています。
1章は幕末~明治。泰平の世から激動の時代に入ると、世相に合わせるように、奇怪・凄惨・エロティックなど、それまで主流ではなかった分野も表現のテーマになっていきます。
この時代に流行したのが、生人形(いきにんぎょう)を使った見世物興業。本物そっくりのリアルさで人気を博しました。
安本亀八による《白瀧姫》も歯や舌など細かな部分まで作り込まれています。ただ、これは見世物用ではなく、神社に安置されていたものです。
1章「プロローグ 激動の時代を生き抜くためのパワーをもとめて(幕末~明治)」 安本亀八《白瀧姫》明治28(1895)年頃 桐生歴史文化資料館[通期展示]
2章は明治~大正。西洋からの影響で価値観が変化し、自分自身の感情や欲望など、内なるものへの関心も高まります。
「恋愛の喜び」を表現する事も、日本では近代以降に広まりました。《婦人と朝顔》は近代絵画の巨匠、藤島武二の作品。女性の表現はロセッティが描く「宿命の女」を思わせますが、ロセッティと異なり女性は無表情です。ぼんやりした視線には、どんな意図が込められているのでしょうか。
2章–1「愛そして苦悩―心の内をうたう」 藤島武二《婦人と朝顔》明治37(1904)年[通期展示]
明治時代に自国の伝統に目が向けられるようになると、『古事記』や『日本書紀』などに記された日本の神話が、一般の間にも広まっていきます。
青木繁は、これらの物語に画学生時代から親しんでいました。西洋美術の知識も豊富だった青木は、日本と西洋、過去と現在が混ざりあったような作品を制作。《大穴牟知命》も『古事記』の一場面ですが、描かれた人物は現代風です。こちらを見つめる女性は、青木の恋人・福田たねといわれます。
2章–2「神話への憧れ」 青木繁《大穴牟知命》明治38(1905)年 石橋財団アーティゾン美術館[通期展示]
明治の中頃以降、泉鏡花や谷崎潤一郎らの小説が人気を呼ぶと、幻想的な世界観にあわせた挿絵も描かれました。これらはビアズリーなどの世紀末美術や、ラファエル前派を含む象徴主義から影響を受けています。
谷崎潤一郎の『人魚の嘆き』に挿絵を描いたのは、水島爾保布(みずしまにおう)。構図や流れるような曲線は、ビアズリー作品に通じます。
2章–3「異界との境で」 谷崎潤一郎『人魚の嘆き・魔術師』(春陽堂、大正8年)「人魚の嘆き」水島爾保布 口絵、扉絵、挿絵 大正8(1919)年 弥生美術館[3/23~4/18:口絵、扉絵、挿絵(商人と人魚)、4/20~5/16:挿絵]
明治30年以降には印刷技術も向上。絵葉書やポスターなどで美人のイメージは共有され、定着していきます。一方で絵画においては、表面的な美しさだけでなく、対象の内面や、画家自身の個性が求められるようになりました。
顔に大きなあざがある女性を描いた島成園の作品はインパクトが強い作品。あざがある女性の運命と世を呪う気持ちが描かれたといわれます。顔は島成園自身の顔とされますが、成園にあざはありませんでした。
2章–4「表面的な「美」への抵抗」 島成園《無題》大正7(1918)年 大阪市立美術館[展示期間:3/23~4/18]
展覧会のメインビジュアルのひとつが、甲斐庄楠音《横櫛》です。河竹黙阿弥作の歌舞伎の演目「處女翫浮名横櫛」(通称「切られお富」)の一場面で、お富は恋人のためにゆすりや殺人を犯し、最期は恋人と自害します。美しく装い、官能的に描かれたお富のモデルは甲斐庄楠音の義姉です。
2章–4「表面的な「美」への抵抗」 (中央)甲斐庄楠音《横櫛》大正5(1916)年頃 京都国立近代美術館[全期間展示]
明治30年代を過ぎると、それまで浮世絵師が担っていた物語の挿絵は、鏑木清方など日本画家が描くようになります。画中の人物の表情やわずかな動きなどで、人物の内面が掘り下げられるようになりました。
上村松園《焰》は、源氏物語に登場する光源氏の恋人・六条御息所を描いた作品。他の女性への嫉妬から生霊になってしまう悲劇的な女性です。表情や仕草、蜘蛛の巣文様の着物に、悲しい運命が表れています。
2章–5「一途と狂気」 上村松園《焰》大正7(1918)年 東京国立博物館[展示期間:3/23~4/4]
大正12(1923)年の関東大震災から、社会は大きく変化。都市では女性の労働が増え、洋装の男女が恋愛を楽しむなど、それまでにはなかった風俗が見られるようになりました。日常でも刺激が求められ、探偵・怪奇小説やエロティック、猟奇的、グロテスクなどをテーマにした出版物がブームになりました。
大正時代に多くの少女雑誌が刊行されるようになると、表紙や口絵には「理想的な少女イメージ」が描かれるようになりました。そのイメージは、時代の最先端をいくモダンガールであり、従来の価値観を打ち破る存在。読者である少女たちの憧れの対象になったのです。
3章「エピローグ 社会は変われども、人の心は変わらず(大正末~昭和)」 『少女画報』14巻8号 高畠華宵 表紙絵 大正14(1925)年8月 弥生美術館[展示期間:3/23~4/18]
このコーナーで以前、千葉市美術館の「岡本神草の時代展」(2018年)をご紹介したように、とても興味深いテーマですが、いわゆる「美術」のメインストリームではないことも事実。この手の展覧会が国立の美術館で開催される事は意義深いですし、美術シーンの広がりはとても嬉しく思います。東京展の後に、大阪歴史博物館に巡回します(7/3~8/15)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年3月22日 ]