あまり有名とはいえない画家にスポットをあてた展覧会を、時折り開催する太田記念美術館。
笠松紫浪(かさまつしろう 1898~1991)も、一般的な知名度はあまり高くないと思いますが、その作品世界は独特の魅力にあふれています。
没後30年を記念した本展、紫浪が手がけた新版画の全貌を紹介していきます。
(左手間から)《奥多摩の家》見本摺 昭和29年(1954) 芸艸堂 / 《初夏の竹》見本摺 昭和29年(1954) 芸艸堂
大正から昭和にかけて活躍した笠松紫浪。師は鏑木清方なので、紫浪と同様に新版画で活躍した川瀬巴水とは同門になります。
清方の勧めと、版元である渡邊庄三郎の依頼もあり、大正8~9年(1919~20)、21~22歳の時に新版画を制作。ただこの時は僅か5点のみで、作風にも模索の色が感じられます。
《青嵐》大正8年(1919) 渡邊木版美術画舗
再び新版画を手がけるようになったのは、10年以上経た昭和7年(1932)、34歳の頃。同じく渡邊庄三郎の元から新版画を制作。最初は美人画と風景画が刊行されましたが、その後はほとんど風景画一本になります。以降10年間で50点以上の大判の新版画を刊行しました。
(左から)《浅春 ─ 茶の湯 ─》昭和7年(1932)春 渡邊木版美術画舗 / 《雨に暮るゝ塔(東京谷中)》昭和7年(1932)晩春 渡邊木版美術画舗
《春の夜 ─ 銀座》は、紫浪を代表する新版画のひとつ。行灯型の看板には、当時の新橋演舞場で上演されていた演目の名前が見えます。
寿司屋台の暖簾の間からこぼれる光と、奥には洋装の人々も。紫浪の新版画は、落ち着いた景色の中にも、しばしば人々の営みが描かれるのは特徴といえます。
《春の夜 ─ 銀座》昭和9年(1934)4月 渡邊木版美術画舗
明治末から昭和にかけて刊行された新版画。近代を感じさせる画題も魅力です。
《満州国皇帝陛下奉迎門》は、まさに時代を感じさせる作品。昭和10年(1935)、愛新覚羅溥儀が訪日した際に、東京駅に設けられた奉迎門です。夜になるとこの絵のように、ライトアップされました。
《満洲国皇帝陛下奉迎門》昭和10年(1935)4月 渡邊木版美術画舗
太平洋戦争末期の昭和20年(1945)4月、紫浪は長野県高丘村(現中野市)に疎開。戦後もしばらく長野で暮らしていました。
昭和23年(1948)からは、渡邊庄三郎の甥である渡邊金次郎の元から8点の作品を刊行。長野の温泉地を取材した作品が多いのは、この時期の経験からです。
ただ、金次郎版の制作にあたり、渡邊庄三郎の許可を得ていなかった事からトラブルになり、販売は差し止めに。以後、庄三郎との関係も絶たれてしまいました。
(左から)《秋立つ町 糸魚川》昭和23年(1948)8月 渡邊木版美術画舗 / 《雪の塔 上野東照宮》昭和25年(1950)1月
渡邊木版画舗と疎遠になってしまった紫浪ですが、昭和27年(1952)、京都の版元である芸艸堂(うんそうどう)から声がかかり、新版画の制作を再開。8年間で100点以上の作品を手がけています。
風景画が多いのは以前と同様ですが、輪郭線を描く主版が太くなった事で、モティーフの存在感が増した他、色使いも華やかになりました。
《陽明門の雪》見本摺 昭和27年(1952) 芸艸堂
今回の展示では、芸艸堂版の作品は見本摺が数多く出展されています。
出版直前の最終版にあたるものですが、実際に出版された初摺と比較すると、大きく変化しているものも。《東京八景の内 増上寺三門》では、左の女性の大きさが全く異なります。
(左から)《東京八景の内 増上寺三門》見本摺 昭和28年(1953) 芸艸堂 / 《東京八景の内 増上寺三門》初摺 昭和28年(1953) 芸艸堂
また《箱根湯本の春宵》は、原画も展示。この原画をもとに版下絵をつくり、彫り、摺りへと進みます。
原画と見本摺を比べると、構図や色合いこそ一致しますが、細部はかなり異なっており、伝統木版画における分業の意味合いを強く実感できます。
(上)《箱根湯本の春宵》見本摺 昭和28年(1953) 芸艸堂 / (下)《箱根湯本春宵》原画 昭和28年(1953) 芸艸堂
紫浪を「最後の新版画家」と位置付けるに相応しい作品が、こちら。昭和33年(1958)12月に竣工したばかりの東京タワーを画題にした、意欲的な作品です。
この後の紫浪の木版画は自刻自摺版画に移行していくので、新版画としての紫浪の作品はこの年が最後になります。
《東京タワー》初摺 昭和34年(1959) 芸艸堂
伝統的な浮世絵の技法である絵師、彫師、摺師の協同作業によって制作される新版画。川瀬巴水、吉田博など、近年は注目度が高まっていますが、紫浪は巴水の影に隠れたような存在でした。
知られざる実力者の作品を、まとまった形で東京で見られる、とても貴重な機会です。前後期で全作品が展示替えされますので、ご注意ください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年1月31日 ]