奄美大島で描いた個性的な日本画で知られる、田中一村(1908-1977)。生涯に一度も個展などで作品を発表していない孤高の画家ですが、没後に人気に火がつき、各地で展覧会が開かれるようになりました。
奄美に移住する前、20年に渡り千葉に住んでいた一村。旧居にも近い千葉市美術館で、収蔵する田中一村の作品・資料100余点のすべてを公開する展覧会が始まりました。

会場前
田中一村(本名 孝)は、明治41年(1908)栃木県生まれ、彫刻師の父から書画を学び、7歳で「米邨」の号を受けました。
幼少時より、天才的な画力をもっていた一村。これは近年判明した事ですが、大正皇后からイタリア人パイロットに贈られた「記念帖」に、11歳の一村が描いた絵が含まれていたほどです。
東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科にストレートで合格するも、2カ月後に「家事都合」で退学。それでも絵画は続け、当時の日本で人気があった、中国近代の文人画風の絵(南画)で活躍。支援者にも恵まれ、早くも画家として身を立てていきました。

田中一村《つゆ草にコオロギ》1921年 夏 川村コレクション © 2020 Hiroshi Niiyama
昭和に入ると、日中間で緊張が高まるなど、社会情勢も変化。一村も、南画以外の創作を模索する事となります。
《椿図屏風》も、一村としては珍しい金屏風です。極彩色の紅白椿が画面を埋め尽くす濃密な描写は、新境地への意欲も伺えます。
これまで、この時期の一村は「寡作で空白の時期」とされていましたが、近年の研究で、模索を続けていた事が分かってきました。この章に展示されている作品は、この10年で新たに紹介されたものばかりです。

田中一村《椿図屏風》1931年 千葉市美術館蔵 © 2020 Hiroshi Niiyama
昭和13年(1938)、一村は母方の親戚を頼って千葉市に転居。千葉市美術館からほど近い場所で、畑を耕し、内職をしながらも、画家として絵で暮らしていました。
ここで紹介されている作品は、千葉に住むさまざまな関係者のもとに今日まで伝わってきた作品です。身近な風景を描いた色紙、観音や羅漢の図、季節の掛物である節句絵など、展覧会に出品する作品とは異なりますが、画家の生業といえるものばかりです。

田中一村《十六羅漢図》1948年頃 川村コレクション(千葉市美術館寄託) © 2020 Hiroshi Niiyama
昭和22年(1947)、田中米邨は画号を「柳一村」に改め、川端龍子が主宰する第19回青龍社展に《白い花》を出品、入選します。結果的に《白い花》は、一村が唯一、中央画壇で認められた作品という事になりました。
この時期、一村は集中的に軍鶏を描いています。題画賛に『荘子』の「木鶏」の故事が記されている作品があるので、軍鶏を描くにあたっての思想的な一面も伺えます。
昭和30年(1955)6月には、九州から四国、南紀を廻る旅へ。千葉に戻ってから世話になった人に向けて、色紙に旅先の風景を描いています。
ただ、40代半ばを過ぎてからの日展や院展への出品はすべて落選。昭和33年、一村はそれまでの絵画を葬り、家も売り払って、当時日本最南端の奄美大島に向かいました。

(左から)田中一村《軍鶏》1953年頃 個人蔵(千葉市美術館寄託) / 田中一村《軍鶏》1953年頃 個人蔵(千葉市美術館寄託) © 2020 Hiroshi Niiyama
ちょうど50歳で奄美に渡った一村。一時は千葉に帰るも、再び奄美に戻り、紬工場で染色工として働き制作費を蓄えながら、画家としての活動を続けます。
昭和42~45年の3年間は制作に没頭。奄美における主要な作品の多くはこの時期に描かれました。
一村畢生の大作《アダンの海辺》も、この時期の作品。後年の書簡に「閻魔大王への土産物」としているのは、この作品への自負の表れでしょうか。南国の植物・アダンをメインに、背後には沸き立つ雲、彼方より届く夕陽の光。足元の砂礫は、一粒ずつが輝いているようです。

田中一村《アダンの海辺》1969年 個人蔵(千葉市美術館寄託) © 2020 Hiroshi Niiyama
展覧会の最後には「田中一村 鑑賞史」といえるエリアも設けられました。
無名の一村が知られるようになったのは、一村の三回忌にあわせて、奄美の知人たちが地元の公民館で展覧会を開催してから。4年後の昭和59年(1984)にHNK教育テレビ「日曜美術館」で全国放送された事で、一気に人気が高まりました。平成13年(2001)には奄美パーク・田中一村記念美術館も開館しました。
平成22年(2010)には、千葉市美術館などで「田中一村 新たなる全貌」展が開催。作品自体の基礎的な調査が行われました。千葉市美術館での展覧会は、それ以来ちょうど10年ぶりという事になります。

田中一村アーカイブ 展示の様子
収蔵作品だけによる構成のため、奄美時代の代表作がずらっと並ぶ、という展覧会ではありませんが、逆に普段の展覧会では見過ごされがちな細かな作品・資料も展示されているので、一村が歩んだ画業をつぶさに展観する事ができます。
企画展示室7階で開催されている本展、同時期に8階では「ブラチスラバ世界絵本原画展 こんにちは!チェコとスロバキアの新しい絵本」も開催されています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年1月5日 ]