明治11年(1878)に施行された郡区町村編制法による15区6郡制で制定された「牛込区」は、昭和22年(1947)に隣接する「四谷区」、「淀橋区」と合併して現在の「新宿区」となり、「本郷区」と「小石川区」は同年に合併し、現在の「文京区」となりました。
外堀沿いの外側に位置するこれらの地区には、江戸時代に幕府から広大な敷地を拝領した尾張藩徳川家と水戸藩徳川家の上屋敷や中屋敷、下屋敷などがありましたが、それらの屋敷は明治期に入ると政府に接収され、牛込区の市ヶ谷にあった尾張藩の上屋敷は陸軍士官学校(現在は防衛省)、下屋敷は陸軍学校(現在は戸山公園)に、小石川区の後楽園がある水戸藩の上屋敷は兵器を製造する砲兵工廠(現在は東京ドーム)となりました。江戸時代に造られ た名園とされる庭園の一部を残して、日本の軍事の近代化を目指す施設が置かれたのです。写真帖の中には、砲兵工廠を建設中の様子が写された写真が多くあります。新しく建てられた西洋建築との間には、かつての優雅さを失った上屋敷の一部が写されており、まるで取り壊されるのを静かにまっているかのようにも見えます。
また、本郷区の写真には、明治8年(1875)に移転してきたばかりの順天堂医院(現在の順天堂大学医学部附属順天堂医院)や、欧米に倣った教育を始めるために武家屋敷跡に造られた東京大学、昌平坂学問所があった湯島聖堂の敷地には東京師範学校(筑波大学の前身)や東京女子師範学校(お茶の水女子大学の前身)、そして日本に最初に出来た幼稚園(お茶の水女子大学附属幼稚園の前身)などが写されています。
学問の街である一方で、本郷区の根津神社の東側(現在の根津1丁目と2丁目)には根津遊郭も存在しました。江戸時代に造られ幕末期に一旦廃止となりましたが、明治になると新政府によって再び営業を許可され、とても栄えていたようです。しかしその後、近くに東京大学ができたため、生徒の風紀を乱すとの理由で明治21年(1888)に洲崎(現在の江東区東陽町)に移転させられました。今回展示する写真には、移転前の根津遊郭の繁盛している様子が写されています。
このほか、牛込区の市谷亀岡八幡宮や築土神社、赤城神社、小石川区の護国寺や伝通院、本郷区の湯島天神や根津神社などを含め、明治4年頃(c1871)から明治20年代頃までに撮影されたものと思われる当時の街並みをご覧頂きます。