JCIIフォトサロンでは、古写真シリーズの20回目として、来る2011年2月1日(火)から2月27日(日)まで、「—古写真に見る明治の東京— 芝区・麻布区・赤坂区編」を開催いたします。今回は、2009年と2010年に開催し好評をいただいた「皇城(江戸城)・麹町区編」 「神田区・日本橋区編」 「京橋区編」に続く第4弾で、当館所蔵の「大日本東京寫眞名所一覧表」と題された2冊の写真帖の中から、当時の「芝区・麻布区・赤坂区」の写真を展示いたします。明治4年頃(c1871)から明治20年代前半までに撮られた写真が入り交じり、複数の写真師による作品で構成されているこの写真帖については、作られた経緯やその詳細はまだまだ不明な部分が多いのですが、総数900点以上の写真は12区と5郡に分けられ、それぞれの町の特徴がよく分かる作りになっています。「芝区」、「麻布区」、「赤坂区」とは、明治11年(1878)に施行された郡区町村編制法による15区6郡制で制定された区で、昭和22年(1947)にこの3区が合併し、現在の「港区」となりました。現在の「港区」内の赤坂・青山・麻布・六本木を除く地域にほぼ一致する「芝区」の写真には、江戸時代以来眺望絶景の地と知られ庶民に愛された愛宕山の山頂から四方を撮影した東京の街並、徳川家の菩提寺である増上寺、海岸沿いに造られたばかりの品川駅などが写されています。なかでも、政府より布告された神仏分離令によっておきた廃仏毀釈運動の影響で、明治7年(1874)に放火された増上寺本堂の写真は、焼失前と再建途中のものが2枚あり、これらを見比べると、再建中の建物が焼失前よりも縮小されていて、徳川政権の終わりを改めて感じさせられます。「赤坂区」の写真には、明治7年(1874)に葵町に竣工した工部省、赤坂離宮(現在の迎賓館)となったばかりの旧紀州藩邸の屋敷門などが写されており、江戸時代に広大な面積を占めていた旧大名藩邸が明治期に入って官用地や軍用地として転用されていった様子を伺い知ることができます。その一方で「麻布区」には、江戸時代から続く蕎麦屋の「永坂更科」や一本松など、江戸名所図会などにも描かれた場所がそのまま写真に残されています。今回の展示では、写真帖に収録された「芝區之部」、「麻布區之部」、「赤坂區之部」より、約70点をご覧いただきます。これらの写真が撮影されたのは、「江戸」から「東京」へ、近代化という大きな変化の第一歩を踏み出した時代です。新旧が入り混じった明治維新後の街並みを、是非お楽しみ下さい。