現在の鹿児島県薩摩川内市に生まれた岩谷は、明治10年(1877)に上京し、銀座3丁目(現在の松屋銀座のあたり)で薩摩の特産品の販売を始めました。一方で、当時外国から輸入されていた紙巻たばこにいち早く目をつけ、その国内生産に取りかかり、明治17年(1884)ころには、「天狗たばこ」を発売しました。日本では、まだきせるで吸う刻みたばこが全盛でしたが、岩谷は、自ら“大安売りの大隊長”を名乗り、引札、看板、新聞広告など、あらゆる広告手段を使って宣伝を行い、紙巻たばこを大いに広めました。
明治30年代には、外国たばこ会社の資本を背景に、日本のたばこ業界を座巻しようとした村井吉兵衛の「株式会社村井兄弟商会」が登場しました。国産葉たばこを原料とし、多額の税金を納付していた岩谷は、「国益の親玉」として村井に対決を挑みます。たばこが専売制になる明治37年(1904)7月まで続いたこの岩谷と村井の販売競争は、「明治たばこ宣伝合戦」と称されるほど激しいものでした。奇抜なキャッチコピー、「赤」というコーポレートカラー、「天狗」というイメージキャラクターを使った岩谷の広告戦略は、明治以降の宣伝広告のあり方にも大きく影響しました。また、岩谷、村井ともに自社商品のパッケージやポスターの印刷にも力を注いだ結果、印刷技術の発展にも寄与することになりました。
展示では、岩谷松平の生涯と明治のたばこ史を振り返りながら、明治30年代の銀座を中心に繰り広げられた「明治たばこ宣伝合戦」の様子を、当時の看板やポスターなどをはじめとした様々な資料でご紹介します。また、岩谷が愛用した「赤服」や銀座の邸宅にあった家具など、近年公開された岩谷家にまつわる資料も展示します。