《鶏の土人形》
中野区立歴史民俗資料館名古屋土人形という郷土玩具です。創始者は明治初年に熱田神宮祭祀用土器の窯場である御器所(ごきそ)にいた伊藤友松といい、士族の野田重成が明治15,6年ごろに伏見人形の技法を習い覚え自分のアイデアを加えて家業としました。名古屋で土人形を制作したのは十数軒ありましたが、唯一戦後まで作り続けたのは重成の息子・野田末吉という人物です。節句物、歌舞伎物、天神、花魁(おいらん)、鳩笛、豆人形など種々の土人形をつくり、その種類の多さは全国一といわれました。野田末吉さんは平成元年に他界されため、名古屋土人形は今では作られなくなってしまい、貴重な郷土玩具のひとつといえます。この鶏一家(?)も野田末吉さんの手によるものと考えられます。
担当者からのコメント:6羽一括なので「鶏ファミリー」と見立ててみました。
後列中央:黒目が上向きなすっとぼけた表情の父親。ふだんは妻の尻に敷かれているタイプか。
後列左:覇気はないがおっとりした性格の長男。鳴き声もおそらく優しめ。
後列右:夢見るお嬢様風の長女。のんびりしたマイペースだが意外と頑固。
前列左:一番鳴き声も気性も猛々しいしっかりものの母親。おきまりの台詞は「私についていらっしゃい!」
前列右:独立心旺盛な次女。男の子っぽい振る舞い(羽ばたき?)も多いが、尾羽や胸元をピンク色に染めてみるおしゃれにも敏感なお年頃。
前列中央:きかん気でいたずらな末っ子。いつも何かをしてやろう、見てやろうという好奇心のかたまり。将来は大物に大化けするような何か漂わせる。