ちようど今から100年前に結成された、分離派建築会。日本で最初の建築運動とされ、後年にもさまざまな影響を与えていますが、これまで展覧会で大きく紹介された事はありませんでした。
本展は、分離派100年研究会が8年にわたって調査研究した成果を発表する企画展。日本近代建築の歩みの中で、彼らが果たした役割を明らかにしていきます。

会場風景
展覧会の第1章は「迷える日本の建築様式」。大正時代の日本の建築は、岐路に立たされていたといえます。
明治時代にお雇い外国人から西洋の建築を学び、それまでの日本にはなかった建築が次々に誕生。ただ、それが本当に日本にふさわしい建築様式にのか、明快な結論は出ていなかったのです。
技術的には鉄筋コンクリートが普及。その性能は、地震や火災が多い日本では重用されますが、建築における意匠は相対的に軽視されるようになっていきます。
一方でこの頃、世紀末のウィーンではセセッション(分離派)と呼ばれる芸術運動が発生。この動向は日本にも流入し、若き建築家たちを刺激していったのです。

第1章「迷える日本の建築様式」 東京大正博覧会
第2章は「大正9年『我々は起つ』」。旧来の建築の流れに異を唱えたのが、東京帝国大学の卒業生6人(石本喜久治、瀧澤眞弓、堀口捨己、森田慶一、矢田茂、山田守)。建築は芸術だと訴え、過去の建築圏からの分離を掲げ「分離派建築会」を発足させました。
卒業直後には、白木屋で卒業制作を発表。それぞれの計画案には粗削りな部分もあるものの、表現主義的な作風を基本とした、みずみずしい感性が見て取れます。
分離派建築会には、後に大内秀一郎、蔵田周忠、山口文象も参加。作品展と出版活動を展開しました。
分離派建築会のデビューと言えるのが、1922年(大正11)に上野で開催された平和記念東京博覧会です。堀口、瀧澤、蔵田の3名は、個性的な意匠の建物を設計。多くの人が訪れた国家の一大イベントにおいて、分離派建築会は強い存在感を発揮しました。

第2章「大正9年『我々は起つ』」
第3章は「彫刻へ向かう『手』」。オーギュスト・ロダンをはじめとした欧州の近代彫刻も、彼らの創作意欲をかき立てました。
分離派建築会のメンバーは、彫刻に見られる陰影や量感の表現に共鳴。新しい技術である鉄筋コンクリートを、構造や機能だけではなく、建築における芸術性の実現に活かそうと、思索を深めていきました。
瀧澤による「山の家」は、建築に彫刻的な要素が現れている顕著な例です。こちらは、一昨年の「インポッシブル・アーキテクチャー」展でも注目を集めていました。

第3章「彫刻へ向かう『手』」
第4章は「田園へ向かう『足』」。分離派建築会のメンバーは、民家や農家など「田園」から着想した作品も手がけています。
瀧澤は、農民美術運動を起こした山本鼎の研究所を設計。蔵田は今和次郎に師事し、民家を研究しました。蔵田の住宅設計は、英国のアーツ・アンド・クラフツ運動に影響を受けた田園のユートピアであると同時に、日本ならではの土着性も現れています。
1923年(大正12)には、関東大震災が発生。山田と山口は帝都復興事業の中で行われた橋梁設計にも関わり、永代橋、八重洲橋を完成させました。

第4章「田園へ向かう『足』」
第5章は「構造と意匠のはざまで」。震災後の都市復興において、分離派建築会のメンバーは電信局、新聞社、デパート、ホールなどを設計。これらの建築にも、初回の展覧会から見せてきた表現主義的な意匠が見て取れます。
また、京都大学の教員となっていた森田は、京都帝国大学学友会館や農学部正門を設計。竹中工務店に勤めていた石本は、東京朝日新聞社社屋を手がけました。

第5章「構造と意匠のはざまで」
第6章は「都市から家具、社会を貫く『構成』」。震災後の日本の美術界は、構成主義が全盛に。西欧ではミース・ファン・デル・ローエらモダニズム建築が拡大するなど、彼らを取り巻く状況も変化していきます。
東京高等工芸学校で室内装飾を指導していた蔵田は、卒業生らと「型面工房」を設立。家具のデザインでも活躍しました。

第6章「都市から家具、社会を貫く『構成』」 蔵田周忠「勝野邸 玄関」
第7章は「散会、それぞれのモダニズム建築」。分離派建築会の結成から8年、1928年(昭和3)の第7回展で、彼らの展覧会活動は終了しました。散会後のメンバー9人は、いずれもれ設計事務所の社長や大学教授といった要職につき、日本の建築界で重要な役割を担っています。
彼らが活躍した時代は、関東大震災と終戦を挟んだ約10年間。ここで紹介された建築の多くは現存していませんが、変革の時代を鮮やかに駆け抜けたその軌跡は、色褪せる事がありません。

第7章「散会、それぞれのモダニズム建築」
本展は会場構成にも注目。雰囲気が良い空間は、分離派建築会の会員たちが展開した作品展と出版活動を象徴する「紙」から着想し、京都を拠点とする木村松本建築設計事務所が担当しました。
公式サイトでは担当学芸員による作品解説も動画で配信されています。あわせてお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年10月9日 ]