湘南海岸に面し、一年を通してマリンスポーツを楽しむ人が多い茅ヶ崎市。共通の文化や風土を持つことから、2014年にはホノルル市・郡と姉妹都市を締結しています。
展覧会は締結5周年を記念した企画で、テーマはずばりアロハシャツ。世界的なアロハシャツコレクターとして知られる小林亨一氏(東洋エンタープライズ株式会社代表取締役)が協力し、今ではほとんど見る事ができない貴重なアロハシャツが展示されています。

「ヴィンテージアロハシャツの魅力」展 会場
展覧会は4章構成で、まずはアロハシャツの歴史から。第1章は「日本人移民とアロハシャツの誕生」です。
アロハシャツ誕生の経緯は定かでありませんが、最も古い「アロハシャツ」の表記は、1935年のムサシヤ・ショーテン・リミテッドの新聞広告とされています。
ムサシヤ・ショーテン・リミテッドは、その名が示すように日系人が創業した会社です。

(右)ムサシヤのアロハシャツ
明治から大正にかけて多くの移民が日本からハワイに渡っており、ハワイの人口の4割が日系人になった事もありました。
しばしば「アロハシャツのルーツは、着物を解体してシャツにしたもの」とされますが、おそらく間違い。そもそも日本人移民は労働者であり、派手な柄の着物を普段着として使う女性はいませんでした。
会場には第二次世界大戦ゆかりのアロハシャツも展示されています。「第100歩兵大隊」と「第442連隊」は、ともにハワイの日系人部隊。ヨーロッパでドイツ軍を相手に有名を馳せ、戦後は戦友会を組織。記念のアロハシャツには、戦歴を反映したデザインが見られます。

(左から)「第100歩兵大隊」ゆかりの《ワン・プカ・プカ》1952年 / 「第442連隊」ゆかりの《ゴー・フォー・ブローク》1953年
第2章は「多様なアロハシャツ」。さまざまな柄を紹介しながら、アロハシャツの世界を紐解いていきます。
まずは「和柄」。1930年代のアロハシャツ草創期と戦後の一時期に、アロハシャツに派手な和柄が流行しました。日本画などにみられる伝統的な意匠とは異なりますが、虎、龍、鯉、城、富士山など「いかにも」といえるモチーフが、デザインに用いられました。

和柄
「オールオーバー(総柄)」は、アロハシャツにおける模様の基本配置です。ハワイの花や植物、名所、魚などが描かれ、もっともアロハシャツらしいデザインといえます。
ハワイを訪れた観光客が首にかけられる、レイ。垂直方向に柄が連続し、レイのように見える「ボーダー」のアロハシャツは、1940年代後半から50年代初期に流行しました。

オールオーバー

ボーダー
アロハシャツをキャンバスに見立てて、全面に風景画を描くデザインは「ホリゾンタル」。写真をもとに手作業で型をつくり、独特の色彩を持つデザインは「ピクチャープリント」。「バックパネル」はその名のごとく、背面に大きな図柄を描きます。

ホリゾンタル

ピクチャープリント

バックパネル
第3章は「いくつかのトピックス」。まずはハワイの英雄、デューク・カハナモク。アメリカ代表の水泳選手として、五輪に3度出場。金メダル3個、銀メダル2個を獲得しました。その知名度は、自らの名前を冠するハワイアンスポーツシャツブランドの創業に繋がり、数々のアロハシャツも生まれました。
1920年代は、サンフランシスコからハワイまで、船旅で6日間。マトソン・ナビゲーション・カンパニーが運行するマトソンラインでは、日替りの食事メニューの表紙を、著名な画家やイラストレーターに依頼。そのデザインはハワイ関連の小物などに転用され、アロハシャツにも使われました。

メニュー柄
最後の第4章は「ケオニ・オブ・ハワイとジョン・メイグス」。ジョン・メイグスは、著名なアロハシャツのデザイナーです。1938年にハワイへ渡り、1940年代後半から1950年代初頭にかけて約400点もデザイン。うち約350点が製品化されました。

ジョン・メイグスがデザインしたアロハシャツ
東洋エンタープライズ株式会社はジョン・メイグスの未発表作品を「ケオニ・オブ・ハワイ」の名称で製品化し、後にメイグスの思いを受け継いで国内のアーティストらがデザインを手がけるようになりました。
会場には著名人が手がけたアロハシャツもずらりと並びます。竹中直人、ブラザートム、さかなクンなど、多彩な顔触れが楽しいコーナーです。

著名人が手がけたアロハシャツ
茅ヶ崎市では、ホノルルとの姉妹都市締結より前から、夏のクールビズとしてアロハシャツが推奨されていました。夏の時期にはアロハシャツ姿で街を歩いている人も多く見られ、その姿は夏の風物詩として定着していました。
美術館でアロハシャツの展覧会が行われるのは、おそらくはじめてですが、地域の特性にあった、とてもユニークな展覧会です。アロハシャツマニアでなくとも、多彩な世界はお楽しみいただけると思います。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年9月27日 ]