シュルレアリスムの代名詞といえるダリ。本展はガラ=サルバドール・ダリ財団(スペイン・フィゲラス)、サルバドール・ダリ美術館(アメリカ・セントピーターズバーグ)、国立ソフィア王妃芸術センター(スペイン・マドリード)からの作品に国内所蔵の重要作品も加え、ダリの創作の全容に迫る大規模展です。
展覧会は年代順の8章構成。序盤には、いわゆる「ダリっぽい」作品はありません。
ダリはマドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーで学びますが、旧態依然とした方針に反発して放校に。1929年まではキュビスムや未来派など当時の芸術運動を取り入れた模索の時期でした。展示されている作品も、ピカソやマティスからの影響が明らかなものが目に止まります。
第1章「初期作品」 第2章「モダニズムの探求」1929年はダリにとって重要な年です。この年にダリは詩人のアンドレ・ブルトンが率いるシュルレアリスム運動に参加。パラノイア的=批判的方法を用いて、すぐにシュルレアリスム・グループの中心的な存在になりました(ただ、後に両者は離れています)。
腐ったロバ、裸婦にも馬にも見えるダブル・イメージ、男根に見立てたパン…謎めいたダリの世界は、ここから広がっていきます。
後に妻となるガラと出会ったのもこの年でした。ガラはダリより10歳も年上、しかもバツイチですが、ダリにとっては最愛のミューズであるとともに、プロデューサーともいえる存在でした。
第3章「シュルレアリスム時代」 第4章「ミューズとしてのガラ」1939年、第二次世界大戦の勃発にともない、ダリとガラは戦火を避けて米国に亡命します。戦前から米国で展覧会を行っていたダリは知名度も高く、1941年にMoMAで開かれた回顧展によってその名声は確立。商業的にも大きな成功を収めました。
米国では活動のフィールドも拡大していきます。ダリは絵画制作とともに演劇、ダンス、映画のデザインにも挑戦。ファッションとアクセサリーの分野にも進出し、宝飾品のデザインはルネサンス期の芸術家に触発されて進めました。
第5章「アメリカへの亡命」 第6章「ダリ的世界の拡張」第二次世界大戦は1945年に終わりますが、広島と長崎への原爆投下にダリは大きな衝撃を受けました。終戦わずか3カ月後の個展に出品された《ウラニウムと原子による憂鬱な牧歌》には、爆撃機とともに米国を象徴する野球がモチーフになっています。
ただダリは、原子力を否定していたわけではありません。原子物理学を古典芸術に融合させようと試みた作品も出展されています。
1948年にスペインに戻ったダリ。60年代以降は古典への回帰を強め、巨匠に触発された作品を手がけています。最愛の妻、ガラが亡くなってから7年後の1989年に84歳で死去。ダリ自身がデザインしたスペイン・フィゲラスのダリ劇場美術館で永眠しています。
第7章「原子力時代の芸術」 第8章「ポルト・リガトへの帰還」京都から東京に巡回する本展。入口近くには撮影できるコーナーがあるほか、グッズ売り場も充実しています。来館者はいつもの美術展に比べ、若い人の姿が目立つそうです。
京都市美術館は9月4日(日)まで、東京展は9月14日(水)~12月12日(月)、
国立新美術館で開催されます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2016年7月27日 ]ガラ=サルバドール・ダリ財団蔵
Collection of the Fundació Gala-Salvador Dalí, Figueres © Salvador Dalí, Fundació Gala-Salvador Dalí, JASPAR, Japan, 2016.
サルバドール・ダリ美術館蔵
Collection of the Salvador Dalí Museum, St. Petersburg, Florida Worldwide rights: © Salvador Dalí, Fundació Gala-Salvador Dalí, JASPAR, Japan, 2016.
In the USA: ©Salvador Dalí Museum Inc. St. Petersburg, Florida, 2016.
国立ソフィア王妃芸術センター蔵
Collection of the Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía, Madrid © Salvador Dalí, Fundació Gala-Salvador Dalí, JASPAR, Japan, 2016.
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