1968年にカンボジアとの国境付近で生まれた、ディン・Q・レ。時代はベトナム戦争の真っ最中で、レが生まれた68年は、米国側が劣勢に向かう転換期でした。戦争終結後、ポル・ポト派の侵攻を逃れるため、ボートピープルとしてタイに脱出した後、10歳で家族とともに渡米。米国で美術の教育(写真とメディアアート)を受けました。
レが注目を集めるきっかけとなったのが、写真を裁断して編む「フォト・ウィービング」シリーズ。異なるイメージが混在するこの作品は、ベトナムの伝統的なゴザ編みから着想したものです。
会場の天井から下がる「巻物」シリーズは、ベトナム戦争の有名な報道写真を、極端に長く引きのばした作品。終戦から40年経ったベトナム戦争のイメージが、デジタル情報としてどう残っていくか問いかけます。
「フォト・ウィービング」シリーズ、「巻物」シリーズ《農民とヘリコプター》は、ハリウッド映画や記録フィルムに残る戦時中のヘリコプターのイメージや、ベトナムの人々へのインタビューで構成された映像と、手作りの実寸大ヘリコプターと並べて展示した作品です。
戦争ではヘリコプターによって多くの悲劇が生まれたため、今でも拒否反応を示す人がいる一方で、農作業や人命救助のため独自にヘリコプターを開発する農民と独学の技術者がいます。ベトナム人のヘリコプターに対する、さまざまな意見が交錯します。
《農民とヘリコプター》2006年ひとつの展示室全体を使ったインスタレーション作品が《抹消》。自らの難民としての経験を踏まえ、故郷を追われた人々に想いを込めた作品です。
床面に広がる紙片は、裏返しになった肖像写真。観客は1枚選んで箱に入れておくと、後日選ばれた写真がスキャンされてウェブに記録として残ります。難民一人ひとりに、それぞれの物語がある事を示唆しています。
《抹消》2010年日本人にとっては「ベトちゃんドクちゃん」で強く印象に残る、結合双生児。レの作品は一見すると可愛らしい人形の姿をしていますが、今もなお大きな問題として残っているにも関わらず、ベトナム国内では公に語られる事がない「戦争による健康被害」についての議論を促しています。
レは米国在学中のベトナム戦争に関する授業で、米国人の体験だけに基づいた話に強い違和感を覚えたといいます。壁面の《ベトナム戦争のポスター》は、米国とベトナム双方の被害者数をポスター風に仕立てた作品。ベトナム人の被害が桁はずれに大きい事を示しています。
《傷ついた遺伝子》1998年、《ベトナム戦争のポスター》1989年ベトナム戦争は北側の勝利に終わりましたが、冷戦構造が崩壊。米国との国交も回復し、ベトナムは新しい道を歩み始めています。
大量のベトナム国旗を掲げた自転車は《愛国心のインフラ》。国旗は愛国心の表現として、現在はサッカーの試合などでよく見られる光景になりました。
「ミレニアムにはベトナムへ」シリーズは、ベトナム政府が推進する観光キャンペーンをパロディー化した作品。米軍による大量虐殺があったソンミ村の写真に「おかえりなさい、ソンミ村へ。今度は素晴らしいビーチへどうぞ。」など、強烈なブラックジョークが記されています。
《愛国心のインフラ》2009年、「ミレニアムにはベトナムへ」シリーズ「ベトナム出身の現代美術家」なので、ベトナム戦争は外せないテーマだろうな…と予想していましたが、想像以上に真正面から戦争に向き合った作品ばかり。その表現から穏やかに見えるものもありますが、奥底に宿る熱いメッセージが見え隠れする、極めて密度が高い展覧会です。ひとつひとつの作品を見ていた時間が、いつもの取材よりかなり長くなった事を付記しておきます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年7月24日 ]