三井の史料を収集・保存する三井文庫。1903年に設立された三井家編纂室が前身で、貴重な資料は閲覧室で見る事ができますが、主に研究者を対象としているため、その史料がまとめて公開される事はありませんでした。
三井文庫の財団設立50周年・
三井記念美術館の開館10周年を記念した本展。会場前半では近世、後半は近代と、歴史に沿って三井のあゆみが紹介されます。
三井の元祖は三井高利(たかとし:1622-1694)です。伊勢・松坂で資金を蓄え52歳で江戸に進出。抜群の商才で巨万の富を築きました。
子だくさんだった高利。特に息子たちは父を助け、高利の子孫である十一家は明治以降の三井財閥でも中心的な役割を担いました。
高利が江戸に出る前の貴重な資料や、高利の商才を讃える《商売記》、高利の遺言状などが並ぶ江戸時代の三井は呉服店部門(三井越後屋)と金融部門(三井両替店)があり、その事業を統括していたのが「大元方(おおもとかた)」でした。年に2回作成された決算帳簿《大元方勘定目録》は、約160年分保存されています。
展覧会のメインビジュアルにもなっている分厚い冊子は、三井両替店の《大福帳》。最大で40cmを越えるものもあります。
幕府と近い関係にあった三井ですが、幕末期には薩摩藩にも接近。新政府には金10,000両を献納しています。《金穀出納所壱万両請取書》はその受領証。豪快な文字は、新時代の息吹を象徴しているようです。
順に《大元方勘定目録》、《大福帳》、《金穀出納所壱万両請取書》幕末・維新期の危機を乗り切った三井。新たな事業基盤として大きな役割を果たしたのが三井銀行・三井物産・三井鉱山です。
《三井銀行創立之大意》は、三井が東京府に提出した創立届。朱文字で訂正の要請を受けた後、日本初の私立銀行として認められました。
《日記》は初期の三井物産の業務日誌。創立前から記されている貴重な記録で、取引内容や人事などについて記録されています。
三井炭礦社の事務長(最高責任者)に迎えられたのが団琢磨。《団琢磨辞令》にある月棒150円・賞与50円は、当時としては破格の待遇です。
ちょっと変わった展示品が、三井傘下時代の富岡製糸所で生産された生糸。100年以上経っていますが、美しい輝きを保っています。
順に《三井銀行創立之大意》《日記》《団琢磨辞令》《富岡製糸所の生糸》戦前の三井財閥を象徴するのが、三井合名会社です。三井十一家の当主を出資社員とした持株会社で、三井物産の重要議案も三井合名会社の承認が必要でした。
敗戦とともに三井財閥は解体。GHQの指導の下で厳しい苦難に直面しますが、後に三井グループとして再結集。大阪万博では三井グループ館を出展しています。
展示ケースの中にあると、ちょっと違和感を覚えるシャベルは、実は里帰りといえる展示品。
三井記念美術館が入る三井本館が1926(大正15)年に着工した際に地鎮祭で用いられたものです。
シャベルは三井合名会社の初代社長であった三井高棟が使ったものです本展にあわせて、三井文庫は「史料が語る 三井のあゆみ ─ 越後屋から三井財閥 ─ 」を刊行しました。「『元祖』三井高利」から「敗戦からの復興 ─ 三井グループ再結集へ」まで、50のテーマを見開きごとに紹介(つまり、2ページで1つのテーマが完結します)。図版も豊富で読みやすく「大人向けの社会科副読本」といった趣きです。
三井記念美術館のミュージアムショップはもちろん、一般書籍としても発売中です。
いつもと違って紙と文字が多い会場ですが、経済立国・日本を象徴するかのような三井の歩みをお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年5月13日 ]■三井の文化と歴史 に関するツイート