東京タワーのほど近くにある、増上寺。150年近く前に、ここに壮大な「五百羅漢図」全100幅が奉納されたことは、長く人々の記憶から消されていました。
羅漢とは、釈迦の弟子。釈迦が残した法を求め、それを悟った人として民衆に信仰されていました。日本では江戸時代中期以降、各地で五百羅漢の木像・石像が作られるなど「羅漢ブーム」ともいえる現象が起こっています。
幕末の絵師・狩野一信は、一般的にはほとんど知られていないでしょう。有名な絵師集団でもある狩野派の最後を飾る存在ですが、ほぼ独学で絵を学んだといわれています。
極彩色でびっちりと描き込まれた羅漢図は、一言でいえばシュール。「自らの腹を開いて、お腹の中の仏を動物に見せる」「脳天から水芸のように水が噴出する」…。リアルな死体からユーモラスな羅漢まで綿密に描きこまれた人物は、仏画の知識とは無関係に強烈な印象を与えます。
全100幅の中で、もっとも意気揚々と描かれているのが、21幅~24幅の地獄の場面。体中に目玉がある赤鬼、割れた氷が突き刺さる寒地獄など、悪夢にうなされそうな場面が続きます。今回の展覧会は展示ケースの奥行きが45cmと浅いので(通常は90cm)、すぐ近くまで寄って見ることができます。
後半には7つの災難の場面を描いたシーンがあります。81幅と82幅は地震の場面、83幅と84幅は台風による洪水の場面です。一信は実際に、1855年(40歳)の時に安政の大地震、翌年には台風による大洪水に見舞われています。今回の震災で私たちが受けたような悲壮感・無力感を、一信も感じていたのでしょうか。
狩野一信は、あと4幅を残して1863年に数え年48歳で病没。残りは妻と弟子が完成させ、増上寺に奉納されました。完成まで残りわずかでの他界は無念だったと思われますが、150年後に開かれたこの展覧会は、各方面で大きな話題を呼んでいます。自身が描いた羅漢のように、一信は天空から我々を見つめているかもしれません。
「えどはく」の愛称で知られる江戸東京博物館についてもご案内します。
JR両国駅ホームからすぐ見える、江戸東京博物館。すぐ隣には両国国技館もあり、町を歩いているとお相撲さんに合うこともよくあります。震災の影響で閉鎖されていた常設展示も、5月1日に再オープン。精巧な江戸時代の町並み模型、昭和初期の庶民住宅など、常設展示も見どころいっぱい。ゆっくり時間を取ってご覧ください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2011年4月28日 ]