シュルレアリスム創成期の作品・資料から、日本の現代美術家・束芋(たばいも)の作品までを、約100点で紹介する本展。全4章構成です。
1章は「シュルレアリスムの誕生」。シュルレアリスムの生みの親はフランスの詩人、アンドレ・ブルトンです。ブルトンは1924年に「シュルレアリスム宣言」を発表しましたが、それに遡る1919年に、オートマティスム(自動記述)を発明しています。
高速でペンを走らせる事で、無意識から新しい詩情を生むこの行為は、シュルレアリスムの萌芽と位置付けられます。
ブルトンは第一次世界大戦に軍医補として従軍しています。戦争の悲惨さから近代性に疑問を抱き、理性だけでは到達できない、より強い現実、すなわち「超現実」を求めるようになりました。
ブルトンの思想は、詩や文学にとどまらず絵画の分野にも拡大。デ・キリコを賞賛し、マックス・エルンストをグループに加えるなど、影響は広がっていきます。
2章は「超現実に触れる」。ブルトンと交流した画家たちは、さまざまな手法で表現を進めていきます。エルンストは、画面の表面を削る「グラッタージュ」技法を利用。サルバドール・ダリは「偏執狂的=批判的」方法という、独自の理論に到達しました。
この章にはエルンストやダリのほか、イヴ・タンギー、ポール・デルヴォー、ルネ・マグリットらの作品も並びます。
3章は「『シュール』なるもの」。日本にシュルレアリスムが知られるようになったのは、1930年頃です。当時、注目を集めていた前衛的な絵画のひとつとして「超現実主義」という訳語とともにもたらされました。
ただ、シュルレアリスムを思想的な運動として理解していたのは、福沢一郎などごく一部。そもそもシュルレアリスムは反近代のはずですが、日本では「ヨーロッパ発のモダニズム」のひとつ、という位置づけで流入したいるので、最初からボタンの掛け違いがあったともいえます。
日本の画家たちは、東洋ならではの仏教的要素も取り入れて、幻想的な絵画を制作。いつしかシュールと略され、‘非現実的’という一面だけが強調されて、世に広まっていきました。
最後の4章は「『シュール』その後」。戦後の日本では、抽象表現が盛り上がります。
シュルレアリスムと抽象は関連が薄そうに思えますが、吉原治郎は戦前にエルンストやマグリッドから影響を受けていました。瑛九も、シュルレアリスムのフォトグラムもとに作品を制作していた事があります。
さらに日本が誇る特撮や漫画も、シュルレアリスムと繋がりがある作品は、少なくありません。
ウルトラマンの原画を手がけた成田亨は、ブルトンやダダなどの怪獣を考案。つげ義春「ねじ式」は、日本的なシュールのシンボルといえる作品です。
最後に展示されているのが束芋です。束芋さん自身は、表現でシュールを意識した事は無いと言いますが、版画の本刷りの後に残ったインクで刷るなど、作品に偶然性を取り入れるのは、シュルレアリスム的な発想でもあります。
そして何よりも、不思議な世界観を持つ作品の制作を通じて、事物の本質に迫ろうという思いこそ、シュルレアリスムそのものと言えるかもしれません。
ぼんやりとしていたシュルレアリスムとシュールの差異が、くっきり分かる展覧会です。どちらが上か下かではなく、双方を俯瞰して見る事で、表現の自由さが楽しめると思いました。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年12月14日 ]
 |  | シュルレアリスムと絵画
アンドレ ブルトン (著), 滝口 修造 (監修), Andr´e Breton (原著) 人文書院 ¥ 11,000 |