吉兆やめでたい兆しを指す「瑞祥(ずいしょう)」。日本の伝統文化では重要なテーマとされ、瑞祥に関連する意匠やモチーフは数多くの美術工芸品に取り入れられてきました。
現在、皇居三の丸尚蔵館では、皇室ゆかりの品々を中心に「瑞祥のかたち」と題した展覧会が開催されています。展覧会では、蓬莱山や鳳凰、麒麟など、吉祥を象徴するモチーフがあしらわれた優れた作品の数々が紹介されています。
皇居三の丸尚蔵館「瑞祥のかたち」会場入口
展示は「宝船」からスタートします。かつて日本では、正月二日や節分の夜に枕の下に宝船を描いた絵を置くと良い夢が見られるとされていました。もし夢見が悪い場合には、この絵を川に流して災いを払う風習もありました。宝船は、福を招き入れ、災いを流し去る象徴として愛されてきたのです。
冒頭で特に目を引くのは、大正天皇が大正5年(1916)に福岡を訪問した際、長崎県から献上された鼈甲(べっこう)細工の宝船《長崎丸》。船には農産物や水産加工品など、長崎の物産27種類が積まれており、金鶴が描かれた帆を広げて大海原を進んでいます。
《宝船「長崎丸」》江崎栄造 大正5年(1916)皇居三の丸尚蔵館収蔵
中国神話に登場する「蓬莱山」は、仙人が住む不老不死の地とされ、東の海上に位置すると言われています。この伝説は平安時代以降、日本でも「亀が背負う岩山」という形で広まり、縁起の良いモチーフとして親しまれてきました。
展示作品のひとつ、岩佐又兵衛による《小栗判官絵巻 巻8上》には、蓬莱山をかたどった松と橘の岩山を背負う大亀の飾り物が描かれています。この場面は、主人公・小栗が照手姫の父に宴へ招かれるシーン。華やかな祝儀の飾りとして蓬莱山が活用されている点に注目です。
《小栗判官絵巻 巻8上》岩佐又兵衛 江戸時代(17世紀)皇居三の丸尚蔵館収蔵(前期後期巻替)
松と鶴の組み合わせは、長寿や夫婦和合を象徴し、日本では古くからめでたい意匠として親しまれてきました。実は本物の鶴が木にとまることはありませんが、歌や絵画では松上にいる姿が頻繁に描かれています。
明治45年(1912)の歌会始では「松上鶴」が勅題(お題)となり、枢密院顧問官の蜂須賀茂韶による応制和歌が詠進されました。本展では、その和歌懐紙も展示されており、当時の文化的背景や縁起物としての意味が深く感じられます。
《和歌「松上鶴」》蜂須賀茂韶 明治45年(1912)皇居三の丸尚蔵館収蔵(前期展示)
中国にライオンはいませんが、インドやペルシアからシルクロードを経て伝わったライオンの造形が「唐獅子」として日本に定着しました。平安時代には狛犬と対として宮中の守護や仏教の護法として用いられ、武士社会では武勇の象徴としても広まりました。
展示作品《陶彫唐獅子》は、昭和3年(1928)に旧秩父宮家の依頼で制作されたもの。濃緑色の釉薬が施された焼き物で、狛犬の阿吽像のように一対をなしています。
《陶彫唐獅子》沼田一雅 昭和3年(1928)皇居三の丸尚蔵館収蔵
鳳凰は中国では麒麟、亀、龍と並ぶ「四霊」の一つで、仁徳のある君主の治世に現れる瑞鳥とされてきました。日本でも鳳凰は桐や竹と組み合わされ、吉祥文様として工芸品に多用されています。
本展の目玉のひとつ《旭日鳳凰図》では、伊藤若冲が鮮やかに輝く羽を持つ鳳凰を描いています。太湖石を思わせる岩と竹林の背景が、鳳凰の威厳を際立たせています。
《旭日鳳凰図》伊藤若冲 江戸時代、宝暦5年(1755)皇居三の丸尚蔵館収蔵(前期展示)
麒麟は、鹿の体、馬の蹄、牛の尾、狼の額を持ち、頭に角が生えた架空の生物です。聖王の時代に現れる仁獣とされ、中国では慶兆のシンボルとして扱われてきました。この伝説が日本にも伝わり、美術工芸品の題材として広く愛用されています。
昭和3年(1928)頃に制作された《麒麟置物》は、日本橋の麒麟像にも似た翼を持つデザインが特徴的です。この新しい姿は、近代以降に生まれた独自の表現といえます。本作は今回が初公開となっています。
《麒麟置物》昭和3年(1928)頃 皇居三の丸尚蔵館収蔵
日本文化が生み出した「吉祥」の美を味わう贅沢なひとときを味わえる展覧会。優美な意匠の中に込められた祈りや願いを感じながら、過去と未来を結ぶ文化の豊かさをぜひ体感してください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2025年1月5日 ]