2020年に開館した宝塚市立文化芸術センター。開館記念展「宝塚の祝祭I-Great Artists in Takarazuka」(会期:同年 6月1日~10月18日)の出品作家5名(辻󠄀司、中辻󠄀悦子、松井桂三、宮本佳明、小清水漸)を毎年1名ずつ紹介してきた『Made in Takarazuka』シリーズの最後を飾るのが「小清水漸の彫刻 1969~2024・雲のひまの舟」。
国内外で高く評価されてきた彫刻家・小清水漸の半世紀余りにわたる創作活動を、その代表作から辿ってみると一体何が見えてくるのだろう。
展覧会会場(宝塚市立文化芸術センター)外観
小清水漸(1944年~)の原点、といえば1968年に関根伸夫(1942-2019)が発表した《位相―大地》。「大地を円筒形に掘り下げ、それと同形になるように土塊を円筒形に積み上げて対比させる」(註1)という作品の制作に参加し、その誕生の瞬間を「ビッグバン」に例えた小清水氏が(註2)、数か月間の苦悶の果てに制作に至ったのが、真鍮とピアノ線からなる《垂線》。天井から真っすぐに吊り下げられた円錐形の分銅が表しているのは、「垂直である」ということ。
《垂線》真鍮(分銅)、ピアノ線、1969年
そして1971年に始まるシリーズ《表面から表面へ》によって、同形木材それぞれの表面に異なる幾何学的な模様を刻み込み、観念やイメージではなくて、モノそれ自体を見(魅)せる、というアプローチが誕生。それは、他でもなく「表面」で物体を語らしめる、ということ(註3)。
《表面から表面へ》米栂、1971年(20点組+10点組)
主に1990年代に制作された《箱シリーズ》では、箱の表面に塗られた黄土という「素材」、さらに「収納する」、「運搬する」という箱の働きが、平面でも静態でもない「表面」を見(魅)せる。
左から《塔櫃》楓、大理石、皮、黄土、1993年、《水の長持》楓、欅、青磁、黄土、水、1992年
「表面」の語りはまた、作品を制作するテーブルによっても。「作業台」という道具の「拘束」と「自由」のあわいには、詩情豊かな世界が広がる。
《作業台 ― 新月のアルテーミス》松、蜜蝋、松脂、1997年
彫ったり、削ったり、刻み目を入れたり、浮かばせたり、他の素材を載せたり埋め込んだり。さまざまな表現による作品が不思議な調和で結ばれているのは、配置の妙?同じ主題の「変奏」のせい(註4)?それとも、それぞれが醸し出すリズム?
第2展示場風景
それはまた、立体であろうが、平面であろうが、
手前の作品:《磁場》栗、鉄、クロモジ、2010年、壁面の作品:《表面から表面へ》ケント紙、クレパス、1973年
「静態」かつ「動態」という、ともすれば忘れがちな「もの」の位相に気付かせてくれるものでもある。
手前の作品:《作業台-表面から表面へ》(最前面)木、2016年、奥の作品:《表面から表面へ》米栂、1971年(15点組)
水と、浮子を伴う器が「彫刻」をなしていることもまた然り。そして、そこから導かれるのは。
《水浮器》青磁、FRP、美群青、紅辰砂、紫岩、令法、大理石、水、1993年
屋上庭園の150個のガラス玉を使ったインスタレーション作品。2017年の神戸開港150年記念《港都KOBE芸術祭》で展示された《150年の水を漁る》が、武庫川の水をイメージした「宝塚ヴァージョン」となって光、風、そして影と戯れながら、空へと続く。
《武庫の水 空へ》鉄、ガラス容器、水、2024年
さまざまな自然物や人工物をそのままを単体、もしくは組み合わせて「作品」として存在させた作家たちは「もの派」と呼ばれ、小清水氏の創作活動も、その文脈で語られることが多い。ただ、1968年の「ビッグバン」によって西洋近代美術の価値観から解き放たれた作家が見せてくれるのは、全てが揺蕩いながら響き合い、あらゆる次元の「境界」が紛らかされる、そんな世界。
開館以来、「今をより良く生き、未来に生きる喜びを届ける方舟」(加藤義夫館長)であることをその使命としてきたアートセンターで、本展が開催されたことを心より寿ぎたい。
[ 取材・撮影・文:田邉めぐみ / 2024年9月13日 ]
註1:《もの派-再考》展(会期:2005年10月25日~12月18日、国立国際美術館
註2:小清水漸「もの派が語るもの派-闇の中へ消えていく前の藪のなかへ」『美術手帖』1995年5月、47-706号、269頁
註3:高階秀爾『日本美術を見る眼 東と西の出会い』岩波書店、1996年、69頁
註4:展覧会序文:峯村敏明「物体・表面・容れもの、そして変奏」