フランスを拠点に活動し、近代建築の三大巨匠にあげられる、ル・コルビュジエ(1887-1965)。国立西洋美術館をはじめ、20世紀を代表する建築家として高く評価されたル・コルビュジエの、美術作家としての側面を紹介する「大成建設コレクション もう一人のル・コルビュジエ~絵画をめぐって」が、大倉集古館で開催中です。
展覧会は時代ごとに4つのセクションに分かれています。
大倉集古館 会場入口
スイスの美術学校を卒業後、30歳の時にパリに拠点を移したル・コルビュジエは、画家のアメデ・オザンファンに出会います。この頃の美術界では、対象物を様々な視点から捉えて空間と時間を表現するキュビスムが大きな影響力を持っていましたが、2人はそれを否定し、新たな絵画表現として「ピュリスム」を提唱。ピュリスムは、テーブルや楽器などの対象物を幾何学的な形態に単純化し、黄金比や正方形を基準にした構図の中で描いていく手法でした。
この頃に制作された作品にはシャルル・エドゥアール・ジャンヌレの名前が使用されています。実はこちらが本名で、「ル・コルビュジエ」という名前はペンネーム。絵画制作においては、1928年まで本名が使用されていました。
第1セクション「ピュリスムから(1920年代の作品)」
オザンファンとの関係が薄れた1926年ごろから作風に変化が現れ、曲線の強調や個々のオブジェの存在感が増していきます。 この時期に絵画のテーマとしていたのが「詩的な感情を喚起する静物」です。機能性と幾何学性を強調した人工物から離れて、骨や石、貝殻や愛犬などぬくもりを感じる身近な自然をモチーフにしています。
第1セクション「ピュリスムから(1920年代の作品)」
ピュリスム期には描かれなかった人物ですが、1920年代以降になると「女性」が絵画の中心的なテーマになります。特にフォルムに注目し、ふくよかでたっぷりとした重量感や柔らかさのある女性が描かれるようになります。
ル・コルビュジエは、たくましい女性たちの姿と同様に、ダンスをしたり歌っている女性も好んで描いていました。ピアノ教師の母やバイオリン弾きの兄など音楽一家の中で育ったことから、絵画を通して音楽やダンスを表現したようです。
第2セクション「女性たち(1920年代末以降の作品)」
様々な瓶やグラスがテーブルの上に置かれた《女性のアコーディオン弾きとオリンピック走者》。中央には腕がドーナツのように類型化した横向きの歌う女性、右上には両手両足を激しく動かしてトラックを走る姿など、様々な要素を詰め込みつつ、正方形や黄金比を使った構図を用いた作品です。油彩の制作のために下絵を繰り返し描いたル・コルビュジエですが、その隣の準備素描《女と生物》では女性の姿のみが描かれています。
(左から)《女性のアコーディオン弾きとオリンピック走者》1928-1932年 / 《女と静物》年不詳
筋肉質で動きのある女性から徐々にゆったりくつろぐ女性を描くようになるル・コルビュジエ。1930年代になるとヴァカンスで訪れた大西洋沿岸での水着の女性や水浴する女性たちの光景を好むようになります。
ソファでくつろぐ妻イヴォンヌが描かれているのは《長椅子 ソファに座る裸婦と犬、カラフェ》。アーモンド型の大きな目に豊かな肢体。輪郭線は一筆書きのようにつながり、画面いっぱいに重量感が伝わってきます。
第2セクション「女性たち(1920年代末以降の作品)」(右)《長椅子 ソファに座る裸婦と犬、カラフェ》1934年
1937年、スペイン内乱によってバルセロナは戦禍に見舞われます。パーツがばらばらに描かれ、記号化されたような《行列》をみると、これまで作品に社会情勢を取り入れることのなかったル・コルビュジエにとっても、内乱は衝撃的な出来事だったことが感じられます。
(左から)《行列》1962年刊 / 《人物》1962年
第二次世界大戦の間は建築の実作がなかったため、絵画の制作にこれまで以上に力を注いでいきます。展示室1階では、これまでの作品をトレースした新たなキャラクターが登場します。
1950年代になるとギリシャ神話から着想を得て、牡牛が繰り返し描かれました。インドをはじめ、旅先でたびたびスケッチに牡牛を収め、力強さのシンボルとして作品に登場させています。ほかにも、翼のある一角獣、開いた手、イコンもモチーフの対象となりました。
第3セクション「象徴的なモチーフ(第二次世界大戦後の作品)」
数学の研究も行っていたル・コルビュジエは「モデュロール」という尺度も独自に編み出しました。「モデュール(基準の尺度)」と「ノンブル・ドール(黄金比)」を組み合わせた言葉で、理想の数値に沿ってつくられた建築空間では、人間にとって丁度いいサイズで居心地の良さを感じられるというものです。 会場には片手を挙げた「モデュロール・マン」と呼ばれる人物像が登場する作品も並んでいます。
第3セクション「象徴的なモチーフ(第二次世界大戦後の作品)」
第二次世界大戦後には、油彩に加えて版画や彫刻、タピスリーなど創作活動を広げていきます。ル・コルビュジエは常に手帖を携帯し、気が付いたことやアイデアを書き込み、旅行先では写実的なスケッチを描いていました。
1940年代後半から60年代にかけては、散文的な詩とそれに合わせた挿画のある版画集も制作。7冊の版画集の中から『直角の詩』『行列』『二つの間に』の3つが展示されています。
第4セクション「グラフィックな表現(1950年代以降の作品)」
牡牛の顔や鳥を表現した巨大なタピスリーも飾られています。城館を彩る美術品として制作されてきたタピスリーは、市民生活には不要なものとして衰退していきます。
そのことを嘆いた織物ギャラリーの経営者は、画家たちに絵柄の作成を依頼し再興に尽力。下絵の依頼を受けたル・コルビュジエも制作を開始します。保湿性と吸音性の利点をもつタピスリーですが、巻き付ければ持ち運びにも便利なだけでなく、ル・コルビュジエ建築の打ちっ放しのコンクリートにも映えることから10点あまりが制作されました。
会場では展示の関係上、叶いませんでしたが、ル・コルビュジエはタピスリーを床に接地して立ち上がるように取り付けることを望んでいたようです。
(手前)《奇妙な鳥と牡牛》1957年
大成建設ル・コルビュジエ・コレクションの作品がここまでまとまって展示されるのは、約30年ぶりとのこと。“アーティスト、ル・コルビュジエ”の姿が中心となっていますが、デザイナーのシャルロット・ぺリアンやピエール・ジャンヌレと協働で制作した椅子や、地下にはル・コルビュジエが手掛けた建築の模型や書籍も並んでいます。
会場内はすべて撮影禁止です。掲載の写真は許可を得て特別に撮影したものです。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2024年6月24日 ]