明治後期から昭和前期にかけて京都画壇で活躍した木島櫻谷(1877-1938)。円山四条派の写生表現をもとに、琳派や狩野派の表現も研究して完成させた「四季連作屏風」の全点を公開した展覧会が、泉屋博古館東京で開催中です。
泉屋博古館東京「ライトアップ木島櫻谷 ― 四季連作大屛風と沁みる生写し」会場入口
第1章を彩るのは、大正中期、大阪の茶臼山に建設された住友家本邸に飾るために描かれた四季連作の金屏風。向かって右側から「雪中梅花」「柳桜図」「燕子花図」「菊花図」と並ぶ屏風は、大正4年頃から2年かけて制作され、書院大座敷にあわせて縦180センチ・幅720を超える大きさです。
制作中から「琳派風」と評判もあり、古典を愛した15代住友吉左衞門(春翠)の審美眼にもかなったと言われる金屛風は、四季それぞれの代表的な植物で客人をむかえたようです。その4つの作品を紹介していきます。
泉屋博古館東京「ライトアップ木島櫻谷 ― 四季連作大屛風と沁みる生写し」会場
吉祥の意味をもつ百花に魅けて花開く梅が描かれているのは「雪中梅花」。老木の幹を大きく切り取った構図は、桃山から江戸初期の狩野派に倣っているうように見えます。胡紛を厚く盛り上げることで、積もる雪に立体感を出す油彩的描写がなされています。
木島櫻谷《雪中梅花》大正7年(1918)泉屋博古館東京
隣には、この季節にぴったりな芽吹きの柳に満開の山桜。一筆で描かれた柳の葉と対照的に、一枚一枚を二筆で形作ることで質感も感じられる桜の花弁。薄墨で平面的に塗った後に立体感を出すことで、桜の幹の太さを強調しています。
木島櫻谷《柳桜図》大正6年(1917)泉屋博古館東京
江戸時代の尾形光琳以降、繰り返し描かれているのは、水辺に咲き、厄除けの草花とされる燕子花です。写生を基礎とし、花のまばらな右手から密集する左手へ、視線を上下から左右へと動かすような構図。
青山の根津美術館では、4月から光琳の国宝「燕子花図屏風」が展示されます。裏箔を用いた櫻谷と表箔を用いた光琳、2つを見比べて愉しむこともできます。
その左には、満開の菊を細かな描写ながら意匠化した「菊花図」。筆の走りが残るように厚く施され、近づいてみると、筆先でつついたような凹凸のある朱菊が散りばめられています。
(左から)木島櫻谷《菊花図》大正6年(1917)泉屋博古館東京 / 木島櫻谷《燕子花図》大正6年(1917)泉屋博古館東京
多様な画派が活動していた江戸時代中期の京都では、中国画や西洋画の技法を取り入れた円山応挙によって、自然や事物をありのまま描く「生写し」(写生)という方法が編み出されました。
写生は、応挙の門下「円山派」の絵師たちによって継承されましたが、緻密な描写をめざす“加筆系”と筆数を減らす“減筆系”の傾向に別れました。第2章では円山四条派の画家たちと櫻谷の描く動物画から、動物描写にライトアップします。
第2章「写生派」先人絵師たちと櫻谷
第2章「写生派」先人絵師たちと櫻谷
「技巧派」「最後の四条派」と称された櫻谷ですが、動物表現においてはそれらの表現に収まらない、まるで息を吹き込んだ様な生き生きとした豊かな表現をみることができます。
明治36年に開催された、大阪内国勧業博覧会の余興動物園での写生もとづいて描かれたのは《獅子虎図屏風》です。うずくまり水を飲む虎と、威風堂々の雄ライオンの立姿。同時期に活躍した竹内栖鳳の獅子図と比べても、輪郭線はほとんど見られず、油画のような幅広の筆跡が見られます。
木島櫻谷《獅子虎図屏風》明治37年(1904)個人蔵
櫻谷は生涯、片時も写生帖を離さなかったと言われ、720冊以上もの写生帖が櫻谷文庫に保存されています。
描いたのは身近な動物だけでなく、社寺の神獣である鹿や猿、猪など。また、明治36年に開園した京都市動物園にも足繫く通い、虎やライオン、狐などの細部描写の反復を行いました。体得した動物描画が、後年の擬人化したような動物のまなざしへと変わっていったことが感じ取れます。
木島櫻谷《写生帖》明治時代(19-20世紀)櫻谷文庫
華やかな「四季連作屏風」から動物描写まで、まさにタイトル通り木島櫻谷に“ライトアップ”した展覧会。章立てや作品のキャプションには、頭に入りやすいポップ表現がされているのも必見です。
木島櫻谷が好きな方はもちろん、これまで目にする場面が少なかった方もこの展覧会で一気に“櫻谷推し”になるかもしれません。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2024年3月11日 ]