国内有数の人形の産地として知られる岩槻に、日本初の人形をテーマとする公共博物館として2020年に開館した岩槻人形博物館。人形師・岡本玉水(1898~1972)を紹介する年に1度の特別展が開催中です。
さいたま市岩槻人形博物館
代々人形師を継ぐ家計の4代目として生まれた岡本玉水。早くから人形を芸術品として完成させたいと考えていた玉水は、分業制だった雛人形でなくすべての工程を1人の手で行う御所人形に心惹かれます。
(中央)《矢の根》昭和26~31年(1951~1956)頃 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館蔵
玉水は、18歳のころに家業を継いで独立します。宮中の御用を務める一方で、1928年には御所人形で自身初の個展を開くなど、作家としての頭角を現します。同年には人形の芸術的確立を目指し、盟友で後の人間国宝となる平田郷陽とともに「白澤会」を創立し人形芸術運動に奮闘します。
1940年に官展(のちの日展)で初出品を果たした作品《同胞》は、チマチョゴリを着た少女をやや下向き加減の繊細な顔立ちで表現しています。
《同胞》昭和15年(1940) さいたま市岩槻人形博物館蔵
平田郷陽の結婚式で媒酌人をつとめるなど、プライベートでも親交のあった2人。第二次大戦中、空襲で家を焼かれた平田が、川口市に疎開していた玉水のもとへ訪ねるなど、手紙からも2人の関係性を窺い知ることができます。
岡本玉水と平田郷陽の関係性が分かる資料
戦後、疎開先から根岸に移り住んだ玉水は、御所人形に現代的な要素を取り入れていきます。1948年頃からは新たな試みとして、大衆誌「読物と講談」の表紙を飾る人形を担当。表紙のために作られた《提灯釣鐘弁慶》は、あたかも釣鐘より提灯に重みを持たせたような、面白みをもたせた作品です。
(左から)《「読物と講談」第5巻増刊号》昭和25年(1950)11月 個人蔵 / 《提灯釣鐘弁慶》昭和25年(1950)頃 個人蔵
玉水は、諸工芸作家のグループ展にも参加して交友を深めていきます。また、個展や一般家庭でも普及しやすい小さめの人形を購入できる頒布会の開催などに精力を尽くします。
肖像画に題材を得て生き人形のような《豊臣秀吉》では、一見すると玉水の作とわからないほど写実的な表現で、衣装や敷物まで丁寧に作られています。
《豊太閤》昭和29年(1954)以前 さいたま市岩槻人形博物館蔵
1958年に日展を退会した後も、個展やグループ展などで発表の場を作っていた玉水。その後の活動では、枠にとらわれずに自由に制作している様子が窺えます。総高70センチを超える大作《紅絵売り》の衣装には、妻の着物の一部を利用し、その上から図柄が描かれています。
(手前)《紅絵売り》昭和34年(1959) さいたま市岩槻人形博物館蔵
最後の展示ケースに並ぶ、雑誌の表紙や、個展・人形頒布会でのリーフレットからも、玉水の活動の幅の広さや展開を感じることができます。
岡本玉水 関連資料
展覧会は“着物で岩槻”割引により、着物で来館した方は無料で観覧することができます。
また「さいたま国際芸術祭2023」のサテライト会場として、ベルトコンベアに乗った人形もお楽しみいただけます。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2023年10月5日 ]