流行を切り取る浮世絵において、最新のモードをまとった女性を描く美人画は重要なジャンル。多くの絵師が多彩な作品を制作し、庶民の人気を博しました。
江戸前期から昭和初期にかけて制作された浮世絵の美人画、約130点(前後期あわせて)を紹介する展覧会が、太田記念美術館で開催中です。
太田記念美術館「美人画 麗しきキモノ」会場
まずは「美人画の歴史」。浮世絵の創生から終焉にいたる各時代で、美人画の優品を展観します。
菱川師房は、師宣の子。《美人遊歩図》をよく見ると、とても小さな白いドットが見えますが、これは縮緬の質感の表現です。禿(かむろ)の着物の桜模様は、遊女の帯とリンクコーデになっています。
菱川師房《美人遊歩図》元禄期(1688〜1704)頃
華奢な女性像で一斉を風靡した鈴木春信に対し、少し後の時代に活躍した礒田湖龍斎は、量感あふれる女性像で美人画を牽引しました。
比較すると、髪型も大きく変化している事も分かります。
(左から)鈴木春信《林屋お筆》明和5〜6年(1768)頃 / 礒田湖龍斎《雛形若菜の初模様 若那や内しら露》安永中期〜天明初期(1775〜82)頃
著名な絵師の作品が並ぶなか、あまり知名度はなくとも、美人画として優れた作品は、積極的に紹介されています。
水野盧朝は旗本で、余技として肉筆美人画を描いていました。《向島桜下二美人図》は、精緻な描写とともに、着物の重さも表現されています。
水野盧朝《向島桜下二美人図》享和2年(1802)9月
ずっと時代は下って新版画。江戸時代の木版画の技術を活かしつつ、新しい感性も取り入れて制作された新版画は、近年、展覧会でも集めています。
橋口五葉は、新版画の版元・渡邊庄三郎が初期に起用した絵師です。大正時代には華やかな長襦袢が流行しており、《長襦袢の女》でもその様子が伺えます。
橋口五葉《長襦袢の女》大正9年(1920)5月
続いて「町方の女性」。市井の人々を活き活きと描いているのも、浮世絵の特徴のひとつです。
喜多川歌麿《五人美人愛敬競 八ッ山平のや》は、高名な美人を判じ絵(なぞ絵)で表した大首絵シリーズ。八つ山、平椀、野、矢で「八つ山平野屋」です。
喜多川歌麿《五人美人愛敬競 八ッ山平のや》寛政7~8年(1795~96)頃
次は「花街の女性」。花魁(高位の遊女)は、艶やかに髪を飾り、凝ったデザインの打掛姿です。教養や芸事も身に着けていたため、人々の注目を集める存在でした。
《三都遊女図》は、上から京の島原の太夫、大坂新町の太夫、吉原の花魁を、それぞれの都市の絵師が描いています。
浅山芦国・山口素絢・勝川春暁 画、山東京山 讃《三都遊女図》文化期(1804~18)頃
続いて「武家の女性」。武家の女性は、伝統的で縁起が良いデザインを好みました。
歌川国貞の《打掛を直す美人》は、国貞晩年の肉筆画。髪飾りの双葉葵など格調高い意匠から、女性の身分の高さがうかがえます。
(右手前)歌川国貞(三代豊国)《打掛を直す美人》安政4年(1857)
次は「男性の装い」。粋な男性たちの着こなしも、浮世絵の題材になっています。
《観桜酒宴図》に描かれている宴の主役らしき男性は、青地のよろけ縞の小袖。中着や下着の襟は黒、帯は市松模様と、ファッショナブルな装いです。
歌川豊広《観桜酒宴図》享和(1801~04)頃
最後は「模様をまとう・物語をまとう」。浮世絵に描かれた服飾を見ると、蟹、タコ、虫、キノコなど、かなり奇抜なものもあります。
《風りう花暦 撫子》に描かれている母親の小袖は、蝙蝠(こうもり)のデザインです。蝙蝠は中国で吉祥モチーフとして親しまれました。
歌川国貞《風りう花暦 撫子》文政12~天保2年(1829~31)頃
変化球の展覧会も多い太田記念美術館としては、王道といえる美人画の展覧会です。肉筆画も多く、とても見応えがあります。
9月24日(日)までの前期と9月30日(土)からの後期で全点が展示替えされるので、ご紹介している作品は全て前期のみの展示となります。ご注意ください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年8月31日 ]