古くから現世から離れた冥界では、閻魔大王など10人の大王が罪業を裁くと考えられ、人々は亡者の極楽往生を願って十王図に祈りをささげて、十王を供養してきました。
静嘉堂の創設者の岩﨑彌之助は、明治期の廃仏毀釈により東洋の優れた文化財が散逸することを憂いて、仏教絵画の蒐集につとめてきました。丸の内に移転後初めてとなる仏教美術を紹介する展覧会が、静嘉堂@丸の内で開催中です。
静嘉堂文庫美術館「あの世の探検 ― 地獄の十王勢ぞろい ―」会場入口
第1章「極楽浄土への招待」では、中国や朝鮮半島、日本における釈迦如来、阿弥陀如来、観音菩薩が並びます。
まず紹介するのは「法華経」に基づいて霊鷲山での釈迦による説法の場面や、さまざまな奇跡の場面を描いた南宋時代の作品。苦しみから解放され幸せに暮らす方法のひとつ仏教をといた如来の姿や、人により沿って願いにこたえる菩薩の姿が登場し、日本の説話画にも大きく影響を与えた作品です。
《妙法蓮華経変相図》南宋時代 12~13世紀
日本に仏教美術がもたらされた時期は正確には分かっていませんが、鎌倉・室町時代の僧侶の交流や唐物貿易により、江戸時代までには寺院や大名家に帰属したものが多くあります。
《釈迦十六善神図》では、説法印を結ぶ釈迦如来とその周りを囲む四天王や神将・鬼神など21の仏の姿が見られます。画面の右下に「久隅」「守景」が捺されていることから、狩野探幽の弟子にあたる久隅守景の作と知られるもので、2017年度の解体修理後初の公開となります。
(左から)《如意輪観音像》南北朝時代14世紀 / 《千手観音二十八部衆像》南北朝時代 14世紀 / 《釈迦十六善神図》久隅守景筆 江戸時代 17世紀後半
同じく修理後に初公開となったのは、奈良の當麻寺に伝わる根本曼荼羅に基づいて作られた浄土曼荼羅の総称「当麻曼荼羅」を描いた作品です。
中央の内陣には、阿弥陀如来と観音・勢至菩薩などが集う極楽浄土を表し、下方の宝池には童子や水鳥が遊ぶ様子が見えます。最上部に群青や、その下に銀泥を施しつつ、截金と金泥を全体に用いた鎌倉時代のものです。
《当麻曼荼羅》鎌倉時代 14世紀
展覧会で最も見どころとなるのが、第2章「地獄の十王ここにあり」。《十王図・二使者図》と《地蔵菩薩十王図》の全13幅が1999年の「仏教の美術」展で初公開されて以来、24年ぶりに一堂に展観され、1幅ずつ冥界の世界を堪能することができます。
《十王図・二使者図》元~明時代 14世紀 / 《地蔵菩薩十王図》高麗時代 14世紀
冥界で生前の罪を裁くといわれる10人の王・十王を描いた「十王図」は、中国では宋時代以降、日本でも鎌倉時代以降に浄土教信仰の盛行とともに描かれた題材です。
裁きをする十王と、頭巾をかぶり手に大宝珠を掲げた地獄に出向いて亡者を救済する地蔵菩薩。十王の足元には細密でありながら鮮やかな色彩と威風堂々とした立体感で、地獄の獄卒らが描かれます。
(中央)《地蔵菩薩十王図》高麗時代 14世紀
中国に由来する空想上の十二種類の獣が登場するのは《十二霊獣図巻》。悪鬼や悪獣を払う効果があるとされ、子供の部屋の屏風に貼られて使われたもので、キリンの類の角獣や魔よけの霊獣である白沢、三角獣や天馬などが色鮮やかに描かれています。
《十二霊獣図巻》室町時代 16世紀
第3章「昇天した遊女」では《普賢菩薩像》と円山応挙の作品が並んでいます。《普賢菩薩象》は、象に乗った普賢菩薩が法華経信仰者を守護するため東方から現れた姿が描かれた、宋代仏画に倣ったとされる鎌倉時代の作品です。
一方の円山応挙による《江口君図》は、象の背に腰掛けた前帯の装いをした遊女・江口君の亡霊を普賢菩薩に見立てたものです。江口君を生身の美人として描かずに、髪の毛一本一本まで綿密に気品溢れる佇まいで表現したこの作品は、応挙の写生画の真骨頂と言え、四条派を中心に上方美人画に大きな影響を与えました。
(左から)《普賢菩薩像》鎌倉時代 13世紀 / 《江口君図》円山応挙筆 江戸時代 寛政6年(1794)
猛暑が続くこの季節。丸の内の静嘉堂文庫美術館へは、地下通路を使って来館することが可能です。《十王図・二使者図》、《地蔵菩薩十王図》に囲まれ涼しい“あの世探検”を終えた後は、ミュージアムショップへ。ホワイエに展示されている静嘉堂で最も古い仏様《金銅観世音菩薩像》が、ピンズになって登場しています。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2023年8月10日 ]