2021年に東京、大阪で開催された「あやしい絵展」で紹介されたことで、記憶に新しい方も多いのではないでしょうか。大正から昭和初期にかけて日本画家として活躍した甲斐荘楠音(1894-1978)の表現者としての姿を紹介する展覧会が、京都開催を経て東京に巡回中です。
東京ステーションギャラリー「甲斐荘楠音の全貌 絵画、演劇、映画を越境する個性」会場入口
会場は、序章から終章まで5つの章で構成。描く人、こだわる人、演じる人、越境する人、数奇な人と彼の多彩さを伝えるタイトルが付けられています。
京都の洛中で生まれ育った甲斐荘は、京都市立絵画専門学校で図案と日本画を学ぶ中で、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロら西洋美術の人物表現にも惹かれ、日本画の制作に反映していきます。
「甲斐荘楠音の全貌」 序章「描く人」 展示風景
1918年に国画創作協会の第1回展に出品した《横櫛》は、情念と官能の表現に迫る描写が高く評価され、甲斐荘の出世作となります。
演劇に生涯尽きぬ関心を寄せ、日本画にも芝居を取材した例が多く見られます。《横櫛》は、愛した男のために悪事を重ねるお富に扮する義姉を描いた歌舞伎演目が下敷きといわれています。
(左から)《舞ふ》 大正10年 京都国立近代美術館 / 《横櫛》 大正5年頃 京都国立近代美術館 / 《横櫛》 大正7年 広島県立美術館(7月31日まで展示)
多くの画家や画学生、絵画愛好の観衆を魅了した《横櫛》ですが、2019年にメトロポリタン美術館の所蔵となった《春》からも、朗らかでロマンティックさを感じることができます。
存在感のある肉体表現から感じられる官能さに繊細な表情。女性の身体に大柄な手足のある両性具有的表現がされたこの作品は、日本での一般公開は今回が初めてとなります。
(左から)《歌妓》 大正15年 個人蔵(京都国立近代美術館寄託) / 《春》 昭和4年 メトロポリタン美術館
同じようなポーズでの人物像をくり返し制作するだけでなく、ひとりのモデルをさまざまな角度から撮った写真を数多く残している甲斐荘。身体の動作と絡み合いに対する探究心は、膨大なスケッチや写真資料からも垣間見ることができます。
「甲斐荘楠音の全貌」 第1章「こだわる人」 展示風景
幼少の頃から歌舞伎を好み劇場に通っていた甲斐荘は、自ら女形として素人歌舞伎の舞台に立つこともあったほど生涯を通して芝居に関心を抱き続けます。
第2章「演じる人」では、画題としてのみならず扮することや演じることへの情熱が感じられる日本画やスケッチ、写真が並びます。
「甲斐荘楠音の全貌」 第2章「演じる人」 展示風景
1940年頃に画業を中断し、活躍の場を映画界に移した甲斐荘。第3章「越境する人」では、衣裳・風俗考証家として日本の時代劇映画の黄金期を支えた姿を紹介します。
「甲斐荘楠音の全貌」 第3章「越境する人」 展示風景
近年の研究により、東宝、松竹、大映合わせて236本もの映画に携わっていたことが明らかになっている甲斐荘。会場には、名優・市川右太衛門と甲斐荘楠音がともに作り上げた「旗本退屈男」シリーズの豪華衣裳や、アカデミー賞衣裳デザイン賞にノミネートされた『雨月物語』(溝口健二監督・1953年)の衣裳が会場を華やかに彩ります。
「甲斐荘楠音の全貌」 第3章「越境する人」 展示風景
終章 「数奇な人」では、甲斐荘が生涯をかけても完成に至らなかった《畜生塚》と《虹のかけ橋》が展示されています。
豊臣秀吉によって養嗣・秀次が自害に追い込まれ、側室や女官たちも三条河原で処刑された史実を題材にした《畜生塚》。自画像を含む多くの秀作も残され、入念な構想の跡を窺え知ることのできる作品です。
展示風景(左)《畜生塚》 大正4年頃 京都国立近代美術館
豪華絢爛な衣装を纏った7人の太夫を描いた《虹の架け橋》は、当初は「七研」という題がついていた作品の表題を変更したもの。 構想自体は21歳のころからはじまり、60年のあいだ断続的に筆を加え、生涯をかけて女性の美を見極めようとした甲斐荘の大作です。
《虹のかけ橋(七妍)》1915-76年、京都国立近代美術館
東京ステーションギャラリーの館長・冨田章氏は「あやしい絵展」により甲斐荘は注目を浴びたが、それは一側面に過ぎないと語っています。東京の美術館では初めてとなった今回の回顧展。会場で“あやしい”だけではない、甲斐荘の多彩な才能に浸ることができます。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2023年6月30日 ]