フランスに次いで世界2位というデータがあるほど、世界中の観光客から高い人気を誇るスペイン。ただ、歴史的にみると他のヨーロッパ諸国からは辺境の地とみなされていました。
スペインのイメージ形成に大きな役割を果たしたのが、大量に流通した版画でした。17世紀初頭から20世紀後半までを対象に、スペインに関わる版画の諸相を紹介する展覧会が、国立西洋美術館で開催中です。
国立西洋美術館「スペインのイメージ:版画を通じて写し伝わるすがた」会場入口付近
展覧会の第1章は「黄金世紀への照射:ドン・キホーテとベラスケス」。小説に登場するドン・キホーテ。騎士道に心酔するあまり、正気を失ったような行動を取りました。
挿絵や絵画におけるドン・キホーテは、初期は不運や滑稽さが強調されていましたが、やがて理想主義的な英雄へと変化していきました。
(左から)オノレ・ドーミエ《ドン・キホーテとサンチョ・パンサ》1850-52年 市立伊丹ミュージアム / オノレ・ドーミエ《山中のドン・キホーテ》1850年頃 石橋財団 アーティゾン美術館
18世紀後半のスペインでは、自国の過去の美術に対する関心が高まり、17世紀の宮廷画家、ディエゴ・ベラスケスに光があたります。
複製版画の制作も盛んになり、若きフランシスコ・デ・ゴヤも、ベラスケスの油彩を模写した版画を出版しています。
(左から)フランシスコ・デ・ゴヤ《バルタサール・カルロス王太子騎馬像(ベラスケスに基づく)》1778年 国立西洋美術館 / フランシスコ・デ・ゴヤ《イソップ(ベラスケスに基づく)》1778年 国立西洋美術館
第2章は「スペインの発見」。近くて遠い国だったスペインですが、ナポレオンの侵路とスペイン独立戦争で、ヒトとモノの往来が始まります。ロマン主義の波もあり、スペインの文化風俗に関心が寄せられるようになりました。
アンダルシアに残るイスラム建築などのエキゾチックな印象は、書籍や図版を通じて欧米に広まっていきました。
オーウェン・ジョーンズ、ジュール・グーリ『アルハンブラの平面、立面、断面、細部図集』2巻 1842-45年(ロンドン)東京藝術大学附属図書館
人々の風俗や衣装も注目されました。18世紀の後半には、ひだ飾り付きのスカートをはいた女性「マハ」に、また19世紀後半からはジプシー(ロマ族)の女性が、スペイン女性の典型像として表現されました。
現在、私たちが「フラメンコ」として知るアンダルシアの民族舞踊が商業的に成立し、オペラ『カルメン』がヒット。エキゾチックなスペインのイメージは、確固たるものになりました。
(左から)ジュール・ドランシー《たばこ「ジタン」のポスター(フランス専売公社)》1931年 たばこと塩の博物館 / ジュゼップ・モレイ《スペイン》1948年頃 サントリーポスターコレクション(大阪中之島美術館寄託)[展示期間:7/4~8/6]
スペインの画家、フランシスコ・デ・ゴヤは、最晩年をボルドーで過ごしたこともあり、フランスでも良く知られています。
銅版画集〈ロス・カプリーチョス〉は、パリで最も注目を集めたゴヤの作品です。フランスの画家、ウジェーヌ・ドラクロワは、ゴヤの銅版画集を模写し、劇的にデフォルメされた身体表現などを吸収しています。
(右手前)ウジェーヌ・ドラクロワ《ゴヤ〈ロス・カプリーチョス〉に基づく習作》横浜美術館 坂田武雄氏寄贈
第3章は「闘牛、生と死の祭典」。闘牛はスペインで長い伝統を誇り、18世紀後半には、闘牛士と牡牛が対峙する現在のスタイルが定着。民衆の間で広く人気を博しました。
19世紀以降になると、闘牛はスペインのイメージを捉える上で、不可欠の存在となりました。ロマン主義の時代から今日に至るまで、聞牛から想を得た絵画や版画は数多く制作されています。
(左から時計回りで)フランシスコ・デ・ゴヤ《〈闘牛技〉11番 英雄エル・シッド、別の牡牛を角で突く》1816年 国立西洋美術館 / フランシスコ・デ・ゴヤ《〈闘牛技〉20番 マドリードの闘牛場でフアニート・アピニャーニが見せた敏捷さと大胆さ》1816年 国立西洋美術館 / フランシスコ・デ・ゴヤ《〈闘牛技〉21番 マドリードの闘牛場の無蓋席で起こった悲劇とトレホーン市長の死》1816年 国立西洋美術館 / フランシスコ・デ・ゴヤ《〈闘牛技〉31番 炎のバンデリーリャ》1816年 国立西洋美術館
第4章は「19世紀カタルーニャにおける革新」。マリアーノ・フォルトゥーニは、カタルーニャ生まれ。アラブ主題の風俗画や18世紀風の歴史風俗画を描いた油彩は、大きな人気を集めました。
一方で、フォルトゥーニは版画も制作しています。エッチングによる独創的な世界は、市場の要請から離れ、フォルトゥーニ自身が望んだ表現でもあります。
(左から)マリアーノ・フォルトゥーニ《友人の遺体を悼むアラブ人》1866年 国立西洋美術館 / マリアーノ・フォルトゥーニ《死せるカビリア人》1867年(1869年) 国立西洋美術館
バルセロナを都とするカタルーニャ地方には、スペイン国内でいち早く19世紀半ばに産業革命が到来。世紀末には新興ブルジョワジーを中心とした、新たな芸術が花開きました。
版画の分野でも、印刷技術の発展で廉価な印刷が可能となり、ポスター芸術が流行。パリで学び、ロートレックらの様式を吸収したラモン・カザスらが、多くの優れたポスターを制作しています。
(右)ラモン・カザス《「アニス・デル・モノ」のポスター》1898年 国立西洋美術館
第5章は「ゴヤを超えて:20世紀スペイン美術の水脈を探る」。「エスパーニャ・ネグラ」は、直訳すると「黒きスペイン」。暗鬱で不穏、不吉なスペインの姿を言い表すための語句として用いられてきました。
植民地を失ったスペインは、近代化の遅れにも直面しますが、逆に自らのアイデンティティを再考する思潮が誕生。非近代的な「黒き」スペインの伝統や歴史は、スペイン的美徳やスペイン的価値の表明として、逆説的に再評価されていきました。
(左から)エミール・ヴェルハーレン、ダリオ・デ・レゴヨス『エスパーニャ・ネグラ』1924年(マドリード)国立西洋美術館研究資料センター ダリオ・デ・レゴヨス《御者台からの印象》 / ホセ・グティエラス・ソラーナ 『エスパーニャ・ネグラ』1920年(マドリード) 長崎県美術館
1936年7月、スペイン内戦が勃発。血で血を洗う戦争の悲劇に、芸術は即座に反応しました。
共和国側への支援を目的として、ピカソやミロは政治的信条を前面に出した制作に取り組みましたが、内戦はフランコ将軍率いる反乱軍の勝利で幕を閉じることとなります。
第5章「ゴヤを超えて:20世紀スペイン美術の水脈を探る」展示風景
取材制限の関係で写真はありませんが、最後の6章は「日本とスペイン」。ピカン、ミロ、タピエスなど20世紀スペインの芸術家たちの作品を、日本人がどのように受容してきたのか振り返ります。
スペインの芸術家ということなら、ちょうど東京国立近代美術館で「ガウディとサグラダ・ファミリア展」も開催中です(9/10まで)。あわせてお楽しみいただいても良いかと思います。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年7月4日 ]