ペットの飼育数は、イヌを抜いたというネコ。ネコと遊べるカフェも増え、ネコが歩く姿を追うテレビ番組も人気と、空前のネコブームといわれる昨今ですが、江戸時代もネコは人気があり、その姿は浮世絵にも数多く描かれてきました。
2012年に「浮世絵猫百景 ― 国芳一門ネコづくし-」が開催された太田記念美術館で、再びネコの浮世絵展。前後期あわせて、180点が並びます。
太田記念美術館「江戸にゃんこ 浮世絵ネコづくし」
ネコの浮世絵といえば、真っ先にあげられるのは歌川国芳です。国芳は自身が大の愛猫家で、懐にネコを入れたまま絵を描いていたといわれます。
国芳による「猫の当字(あてじ)」は、文字の輪郭にネコを当てはめた有名な連作です。たこ、うなぎ、かつを、ふぐ、なまづ、と5種あり、それぞれとてもユニーク。やや意外ですが、5枚が揃って展示されるのは「本展がおそらく初めて」(展覧会担当の赤木美智 主幹学芸員)です(展示は4/25まで)。
歌川国芳《猫の当字》
歌川国芳《猫の当字 たこ》天保13年(1842)頃 個人蔵
国芳は天保12年(1841)年から翌年にかけて、擬人化されたネコの作品を数多く制作しています。
『朧月猫の草紙』は、ネコ好きの山東京山と国芳による物語です。主役のメス猫は、夫の仇を討ったり、先輩のネコにいじめられたりと、波乱の人生(猫生?)を送った後、死後は三味線の皮になりました。
山東京山 作・歌川国芳 画『朧月猫の草紙』初編~七編 天保13~嘉永2年(1847~1849)刊 個人蔵
浮世絵に登場するあらゆる動物の中で、ペットとして最も多く描かれたのがネコです。それだけ、人々の身近な存在だったといえます。
国芳《七婦美人》(寿老人)では、女性の視線の先にネコが。頭にかぶせられたお菓子袋を取ろうとする、ちょっとかわいそうなネコです。
歌川国芳《七婦美人》(寿老人) 弘化4~嘉永元年(1847~1848)頃 個人蔵
現代でもネコは漫画などでも活躍していますが、江戸時代にもネコが登場する歌舞伎の演目や小説がありました。
国芳の《古猫妙術説》は、滑稽性を備えた談義本『田舎荘子』「猫之妙術」から。神妙な面持ちのネコは、鼠取りの名人。剣術家に向けて、剣術の極意を語っています。
歌川国芳《古猫妙術説》 弘化4~嘉永3年(1847~1850)頃 個人蔵
食料や書物、器物に害を与える鼠を追い払うネコ。鼠よけとしてネコの姿を描いた浮世絵もあります。
《新田猫》は、鼠よけに効果があるとされたネコの絵の一つです。新田郡下田嶋村(群馬県太田市)を所領とした新田岩松氏の歴代当主が、4代にわたって描きました。
新田道純《新田猫》19世紀前半(1818~54)頃 個人蔵
展覧会の最後は「おもちゃ絵」に描かれたネコ。おもちゃ絵は、子どもの手遊びのために描かれた浮世絵で、幕末から明治にかけて数多く制作されました。
歌川芳藤の《いろは替手本》は、ユニークな折り替わり絵です。線に沿って折り畳むと、別の絵になる趣向です。
歌川芳藤《いろは替手本》明治前期(1868~87)頃 個人蔵
近年、ネコが描かれた浮世絵の展覧会は各所で開催されていますが、そのルーツは国芳のようです。2011年が国芳の没後150年で、記念の展覧会を通じて国芳の知名度が広まり、ネコの作品に注目が集まって…という流れです。
展覧会は前後期で全作品が展示替え。後期展では、ネコの姿で東海道五十三次の宿場を表した「其まゝ地口 猫飼好五十三疋 上中下」が登場します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年3月31日 ]