今を遡ること約3,000年前。日本では縄文土器が使われていた時代に、中国では驚異的な鋳造技術により、装飾性豊かな青銅器が生み出されていました。
住友家第15代当主・住友吉左衞門友純(号:春翠)らが収集した住友コレクションの中から、中国古代青銅器の名品を紹介する展覧会が、泉屋博古館東京で開催中です。
泉屋博古館東京「不変/普遍の造形 ― 住友コレクション中国青銅器名品選」会場
会場に入ると、さっそくホールにとても大きな作品が登場。太鼓を模して鋳造された器です。
正面には大きな角を持ち、手足を広げた人物の姿が文様になって表されています。名前にある「夔」(き)は、中国の地理書・山海経に登場する怪物です。
《夔神鼓》殷後期 紀元前12-11世紀
展覧会は第1章「神々の宴へようこそ」から。青銅は銅と錫の合金で、銅単体よりも融点が低く鋳造に適していることから、人類が初めて利用した金属ともいわれています。
青銅器文化は世界各地で繁栄しましたが、中国古代では、武器や工具などより、祭祀儀礼の器が発展したことに大きな特徴があります。
「鼎」(てい・かなえ)は、丸みを帯びた胴体に三脚がついた器。周代では祭祀におけるもっとも重要な器種でした。
《饕餮文鼎》殷後期 紀元前12-11世紀
「爵(しゃく)」は酒を温める器。筒状の胴体に三脚がつき、口の片側に細長い注ぎ口(流)、もう片方は鋭い尾がつきます。
殷代にもっとも流行した酒器のひとつで、酒を温めるために用いたという説が有力です。
(左から)《饕餮文平底爵》殷前期 紀元前14世紀 / 《饕餮文爵》殷後期 紀元前13-12世紀 / 《甲虫爵》殷後期 紀元前12-11世紀 / 《冊爵》殷後期 紀元前12-11世紀 / 《魚爵》西周前期 紀元前11世紀
《虎卣》はユニークなデザインで人気が高い青銅器。虎が大きく口をあけて人を丸呑みしようとしており、人は虚ろな表情で遠くを見つめているかのようです。
高さは約35cm。ずっしりしているように見えますが、厚さはわずか2mmで、重さも5kg程度。ちゃんと容器として機能し、把手も一定の角度以上には倒れないようになっています。
《虎卣》殷後期 紀元前11世紀
第2章は「文様モチーフの謎」。中国青銅器にとって最も重要な文様が、奇怪な獣の顔面文様である「饕餮」(とうてつ)。饕餮は文献上に登場する伝説の怪獣で、「首があって身がなく、人を喰っては吞み込まず、その身に害をおよぼす」とされています。
ただ、この文様が饕餮文と命名されたのは北宋時代のことで、殷周時代の人が何と呼んでいたのかは分かっていません。
《饕餮文方彝》西周前期 紀元前11世紀
第3章は「古代からのメッセージ−金文−」。青銅器の内側には、中国古代の人々が残した文字が書かれている事もあります。漢字の祖先にあたるそれらの文字は、当時の人々の思想を知る上でもきわめて貴重な資料です。
《彔簋》に書かれているのは、彔(ろく)という人が軍功を上司に認められたため、その恩顧にこたえてこの器をつくらせた、という内容です。
《彔簋》西周中期 紀元前10世紀
第4章は「中国青銅器鑑賞の歴史」。約1000年前の北宋時代になると、殷周青銅器は本格的に調査が行われ、これを模した倣古銅器が作られるなど、珍重されるようになります。
清朝になると、さらに蒐集活動が活発化。煎茶の流行を通じて江戸後期の日本にももたらされ、明治期には日本でも盛んに集められるようになりました。日本での青銅器コレクターを代表する存在といえるのが、泉屋博古館の基礎をつくった住友春翠です。
《商宝卣題記》明治 19-20世紀
もともと泉屋博古館の名称は、住友が江戸時代に用いた屋号「泉屋」と、北宋時代に編纂された青銅器図録『宣和博古図録』から。泉屋博古館にとって中国青銅器は核ともいえる存在で、質・量ともに世界有数とも称されるコレクションになりました。
いつもは京都の泉屋博古館「青銅器館」で紹介されている名品を、東京でまとめて見ることができるまたとない機会です。会場最後には新しく制作された3Dデータのデジタルコンテンツも用意されています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年1月13日 ]